浮世絵 浮世絵東海道五十三次 |
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浮世絵東海道五十三次 |
慶長5年(1600)関ヶ原の戦で勝利し天下の覇権を確定した徳川家康は慶長6年(1601)に東海道に伝馬制度を定めた(伝馬朱印状、伝馬定書の発布)。これにより江戸と京都まで伝馬で結ばれることになった。伝馬制度とは人馬を宿場ごとに乗り継(次)いで利用する制度で、基本は幕府公用の為に定められたものですが一般の利用も可能だった。但し公用の場合は無賃か低い御定賃料であったが、民用には相対賃料で御定賃料の二倍相当であったようだ。 宿場は当初は37宿であったが順次追加整備して寛永1年(1624)に庄野宿(三重県鈴鹿市)が加わり53宿となって完了している。東海道五十三次の「次」は人馬の乗り「次」を表している。 宿場にはそれぞれ36疋(後に100疋)の馬と36人(後に100人)の人足を常備することが義務付けされたが、その対価として運送業務を独占して収入を得ることができた。また伝馬制度を運営するための「問屋(といや、とんや)」が設けられて幕府から「給米」が支給された。 東海道を利用する旅行者は江戸に幕府の基盤が整備され政治権力が強化・集中するにつれて増加する。参勤交代で東海道を利用する大名は文政時代(1818~)には150家ほどあった。駿府城、大阪城、二条城などの勤番交代の旗本、長崎、堺、伊勢山田の各奉行や大阪、京都の遠国奉行や勤務の幕臣の往来が活発になる。また毎年朝廷から幕府に派遣される公家の往来もあった。朝鮮通信使や琉球からの使節などの往来もある。江戸を基盤とする人口が増えれば当然に商業活動も活発となり商人・諸工人の東西間の往来が激しくなる。さらに江戸中期になれば伊勢参りや金毘羅参りなど一般庶民の旅行も行われるようになる。東海道は他の主要街道に比べてその重要度は高く交通量は圧倒的に多かった。 宿場には大名や公家、高家などの為の宿泊所である「本陣」、その補助的施設「脇本陣」が設けられ、一般武士、庶民の旅人が宿泊する「旅籠」が整備された。人の行き交いが多くなるにつれ宿場の運輸・商業活動も活発となり宿場町は各地域の中心的な存在として発展した。 ♪お江戸日本橋七ッ(午前4時)立ち・・と歌にもあるように、旅人は朝早く出発するのが普通だった。江戸から京までは13日から15日くらいの日程が一般的であったという。全行程約125里(約492km)を全て自分の足で歩くとなると1日30km~40kmを歩く必要がある。時間にすれば1日8~10時間歩くことになり現代人ならとても無理と思われますが、当時の人は女性でも1日25km~30km程度は歩いたようです。 ベストセラーとなった十返舎一九の滑稽本「浮世道中膝栗毛」で弥次さん喜多さんは江戸から東海道を四日市宿まで行き、ここから伊勢路に入って伊勢参りするのだが、江戸を発って(→41.1km)戸塚(→40km)小田原(→16.5km)箱根(→14.8km)三島(→28.8km)蒲原(→27.6km)府中(→13.4km)岡部(→25.8km)日坂(→38.9km)浜松(→45.3km)赤坂(→47.9km)宮に泊まって(→39.9km)四日市に至っている。ここから伊勢路でなく京まで東海道で行くとなると後100km強距離があるので2泊程度を要したと思われます。それでも(物語であるが)滑稽な道中をしながらも一般的と大差ない日程で旅行をしている。 ※①距離数字は概数です。②宮と四日市の間には七里の渡し(船便27.3km所要4時間)があります。 このページでは東海道の各宿場ごとに、江戸時代に描かれた浮世絵や絵本を集めてみました。掲載した浮世絵や絵本の類は全て国立国会図書館のデジタルコレクション(著作権保護期間満了)をもとに編集したものです。掲載に際してサイズ、色彩等加工、修正、補正していますので元画とは異なっている場合もあります。集めた資料だけでは十分とは言い難いものですが当時の宿場の様子、旅の様子が少しは感じ取れるのではないかと思います。 各宿場のページに記した宿場間の距離は掲載した元禄3年(1690)に刊行された「東海道分間之図」に記載されたものでなく、現在一般的に使用されている距離数字を記載しています。なお説明文では1里=3.927kmで換算。1里は36丁。 |
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東海道名所記 絵: 作:浅井了意 |
出版年:万治年間(1658~1660) 版元: 仮名草子 6巻 道中記の草分け的作品 |
諸国安見廻文之絵図 絵・作:石川流宣 |
出版年: 版元:須原屋久右衛門 東海道の道中案内。 |
東海道中膝栗毛 絵・作:十返舎一九 |
出版年:享和2年(1802)~ 版元: 滑稽本 東海道中記のなかで最も有名な作品 |
東海道分間之図 編:遠近道印 絵:菱川師宣 |
出版年:元禄3年(1690) 1万2千分の1の縮尺で、当時としてはもっとも正確に距離、方角が描かれているとされる。 |
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