浮世絵 街道絵(浮世絵東海道五十三次) 
 
    

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浮世絵東海道五十三次07 平塚(ひらつか)

大磯  ←27丁 平塚 3里 18丁→ 藤沢

東海道分間之図   編:遠近道印 絵:菱川師宣 出版年:元禄3年(1690)

平塚宿
 藤沢宿から3里半。馬入川(ばにゅうがわ)を渡船で越えると平塚宿は直ぐ。馬入川は相模川河口の別名。名前の謂われは建久9年(1198)源頼朝が家臣で武蔵国稲毛を支配する御家人稲毛重成が妻を供養するために架けた橋の落成供養に参列した際に馬が暴れ出し、馬が川に入り頼朝は落馬したことから、馬入川と呼ばれるようになったという。因みに馬が暴れたのは頼朝がこの時に義経の亡霊を見た事が原因だとし、頼朝は翌年53歳で亡くなっている。(頼朝が落馬したのは帰路であったともいう)
 平塚宿は馬入川(相模川)と花水川の間の平坦な地にほぼ直線的に伸びた東海道の道筋にある。江戸から来た旅人は正面に丸い特異な形の高麗山を目にする。平塚宿は東海道に伝馬制度が定められ慶長6年(1601)に指定された宿場。天保14年(1843)の記録では本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠屋は54軒であった。

東海道五十三次之内 平塚・繩手道 
絵:歌川広重  出版年:天保4年(1833)~ 版本:保永堂 

駅路の鈴(東海道五十三次)・平塚 
絵:北斎  出版年: 

道中画譜・大磯 道中画譜・平塚 
絵:前北斎為一(葛飾北斎)  出版年:天保1年(1830) 版元:東壁堂 

東海道五十三次・平塚 馬入川 
絵:歌川広重  出版年:天保13年(1841) 

五十三駅景色入美人画・平塚 
絵:歌川国貞  出版年:天保年間 版元:佐野屋喜兵衛

東海道五十三対・平塚 
絵:歌川広重 出版年:天保年間 

東海道五十三次細見図会・平塚 
絵:歌川広重  出版年:天保14年(1843)~弘化4年(1847) 

東海道風景図会・平塚   
絵:歌川広重  出版年:嘉永4年(1851) 版元:錦昇堂 

 役者見立東海道五十三次駅・平塚  五十路の駅・平塚
  絵:三代豊国 出版年:嘉永5年(1852)   絵:三代歌川豊国 出版年:嘉永5年(1852) 

双筆五十三次・平塚 
絵:三代歌川豊国 歌川広重  出版年:安政1年(1854)

五十三次図会・平塚 
絵:歌川広重  出版年:嘉永年間(1848~1854)

五十三次名所図会・平塚 
絵:歌川広重  出版年:安政2年(1855)

 東海道名所風景 平塚  末広五十三次 平塚
絵:二代歌川広重 出版年:文久3年(1863)  絵:芳年 出版年:慶応1年81865) 

 東海道五十三駅之図・平塚
絵:長谷川雪旦 文政年間(1818~1829) 

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