浮世絵 街道絵(浮世絵東海道五十三次) |
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浮世絵東海道五十三次08 大磯(おおいそ) |
小田原 | ←4里 | 大磯 | 27丁→ | 平塚 |
東海道分間之図 編:遠近道印 絵:菱川師宣 出版年:元禄3年(1690) |
大磯宿 平塚宿から大磯宿までは27丁、3km弱しかない。あっという間に着いてしまう。次の小田原宿までは4里、約16km離れているが、旅行者は箱根越を控えて宿泊地は出来る限り箱根に近い小田原宿を目指す。それでも天保14年(1843)の記録では大磯宿に本陣は3軒、脇本陣はないものの旅籠屋は66軒ある。平塚宿や藤沢宿よりも多い。 大磯はもともとは漁師町であったが、風光明媚な地であることから明治時代に伊藤博文など政府高官や財界人の別荘が盛んに建てられたように、すでに鎌倉時代から幕府の有力な御家人などの遊興地となっていたようだ。 また、平安時代末期に西行法師がこの地を訪れ、「心なき 身にもあわれは 知られけり 鴫立沢(しぎたつさわ)の 秋の夕暮(新古今和歌集4)」という歌を残している。これにちなみ寛文4年(1664)に小田原の篤志家が石碑建て、元禄時代(1688~1703)に俳諧師・大淀三千風が草庵・鴫立庵を結ぶ。鴫立庵は日本三大俳句道場の一つに数えられ、広重の縦型で描いた東海道53次の浮世絵にも描かれている。十返舎一九の滑稽本「道中膝栗毛」で弥次さん喜多さんも鴫立沢を訪れ「われわれも 天窓(あたま)をわりて 歌よまん 刀(なた)づくりなる 御影おがみて」という意味のよく分からない一首を残している。 大磯宿は東西を行き来する旅人だけでなく、風光明媚なこの地を目的に訪れる旅行者も結構いたのかもしれない。 |
東海道五十三次之内 大磯・虎ケ雨 |
絵:歌川広重 出版年:天保4年(1833)~ 版本:保永堂 |
駅路の鈴(東海道五十三次)・大磯 |
絵:北斎 出版年: |
道中画譜・大磯 | 道中画譜・平塚 |
絵:前北斎為一(葛飾北斎) 出版年:天保1年(1830) 版元:東壁堂 |
東海道五十三次・大磯 |
絵:歌川広重 出版年:天保13年(1841) |
五十三駅景色入美人画・大磯 |
絵:歌川国貞 出版年:天保年間 版元:佐野屋喜兵衛 |
東海道五十三対・大磯 |
絵:歌川国芳 出版年:天保年間 |
東海道五十三次細見図会・大磯 |
絵:歌川広重 出版年:天保14年(1843)~弘化4年(1847) |
東海道風景図会・大磯 | |
絵:歌川広重 出版年:嘉永4年(1851) 版元:錦昇堂 |
役者見立東海道五十三次駅・大磯 | 五十路の駅・大磯 |
絵:三代豊国 出版年:嘉永5年(1852) | 絵:三代歌川豊国 出版年:嘉永5年(1852) |
双筆五十三次・大磯 |
絵:三代歌川豊国 歌川広重 出版年:安政1年(1854) |
五十三次図会・大磯 |
絵:歌川広重 出版年:嘉永年間(1848~1854) |
五十三次名所図会・大磯 |
絵:歌川広重 出版年:安政2年(1855) |
東海道名所風景 大磯 | 末広五十三次 大磯 |
絵:三代豊国 出版年:文久3年(1863) | 絵:芳年 出版年:慶応1年(1865) |
東海道名所図絵 大磯 鴫立沢・鴫立庵 | |
出版年:寛政9年(1797) |
東海道五十三駅之図・大磯 |
絵:長谷川雪旦 文政年間(1818~1829) |
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