浮世絵 街道絵(浮世絵東海道五十三次) 
 
    

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浮世絵東海道五十三次14 吉原(よしわら)

蒲原  ←2里30丁 吉原 3里6丁 →

東海道分間之図  編:遠近道印 絵:菱川師宣 出版年:元禄3年(1690)

吉原宿
 原宿から吉原宿まで3里6丁(約12.4km)。途中の立場(人足や旅人の休息場所)の茶店で名物の蒲焼を食べることができる。道中膝栗毛の弥次さん喜多さんは三島宿で胡麻の蠅に胴巻の金を盗られて小銭しか無く匂いを嗅ぐだけで通り過ぎる。
 「蒲焼の にほひを嗅ぐも うとましや こちらふたりは うなんぎのたび」と、悔しさ一杯の捨て台詞で一首。
 吉原宿は慶長6年(1601)の伝馬制度発足と同時に宿場に指定されたが、現在のJR吉原駅付近にあった宿場(元吉原)は度々高潮の被害を受け元和2年(1617)に内陸部(中吉原)に移転。しかしここでも延宝8年(1680)の大津波の被害で壊滅的被害を受ける。同時に東海道筋も津波の被害で通行不能となり、東海道も更に内陸部にルートを変更。吉原宿は天和2年(1682)に現在の吉原本町に移転する。天保14年の(1843)の記録では本陣2軒、脇本陣3軒、旅籠屋は60軒あった。
 東海道のルート変更により、道筋は吉原宿の手前で陸側に大きく曲がり、これによって東海道を西に向かう旅人には右手に見えていた富士が左側に見えるようになった。これが「左富士」として旅人の評判になり、景勝地として有名になる。広重の保永堂版の東海道五十三次吉原宿の浮世絵にはこの光景が描かれている。
 原宿から蒲原宿にかけての東海道には宿場や茶店で名物の白酒が売られ、旅人の疲れを癒した。特に吉原宿と蒲原宿の間にある立場・本市場の白酒は人気があったようです。白酒は焼酎またはみりんに蒸した糯米、麹を加えて熟成させて、これをすりつぶし造る。アルコール分は8~9%。山川酒ともいわれ、甘口で一般の清酒よりアルコール分は少ないので雛祭りのお酒として江戸時代に盛んに飲まれるようになった。宿場の宿で飲む寝酒に最適かもしれない。

東海道五十三次之内 吉原・左富士 
絵:歌川広重  出版年:天保4年(1833)~ 版本:保永堂 

北斎東海道・吉原  
絵:画狂人北斎(葛飾北斎)  出版年:享和年間(1801~1803) 

駅路の鈴(東海道五十三次)・吉原 
絵:北斎  出版年: 

道中画譜・蒲原  道中画譜・吉原  
絵:前北斎為一(葛飾北斎)  出版年:天保1年(1830) 

東海道五十三次・吉原 
絵:歌川広重  出版年:天保13年(1841) 

五十三駅景色入美人画・吉原 
絵:歌川国貞  出版年:天保年間 

東海道五十三対・吉原 
絵:歌川国芳  出版年:天保年間 

東海道風景図会・吉原   
絵:歌川広重  出版年:嘉永4年(1851) 版元:錦昇堂 

 役者見立東海道五十三次駅・吉原  五十路の駅・吉原
  絵:三代豊国 出版年:嘉永5年(1852)   絵:三代歌川豊国 出版年:嘉永5年(1852) 

双筆五十三次・吉原 
絵:三代歌川豊国 歌川広重  出版年:安政1年(1854)

五十三次図会・吉原 
絵:歌川広重  出版年:嘉永年間(1848~1854)

五十三次名所図会・吉原 
絵:歌川広重  出版年:安政2年(1855)

 東海道名所風景 吉原  末広五十三次 吉原
絵:歌川芳艶 出版年:文久3年(1863)  絵:二代歌川広重 出版年:慶応1年(1865)  

 東海道名所図会 吉原
出版年:天保7年(1834) 

 東海道五十三駅之図・吉原
絵:長谷川雪旦 文政年間(1818~1829) 

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