浮世絵 名所絵(街道絵) 
 
    

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浮世絵東海道五十三次34 吉田(よしだ)

御油  ←2里22丁 吉田 里20丁 → 二川

東海道分間之図  編:遠近道印 絵:菱川師宣 出版年:元禄3年(1690)

吉田宿
 吉田宿は歴代徳川譜代大名の居城である吉田城・吉田藩の城下町にある。天保14年(1843)の記録では本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠屋65軒であった。街並みは約2.6kmあり城下町の宿場であることから街道は防御のために直角に屈折した曲がり角が造られていた。また、城下町は豊川の河口に立地しており、城下町の機能だけでなく湊町としての機能があり、旅人や船乗りで宿場は活況があった。毎年6月には吉田城内にあった牛頭天王祠で天王祭が行われ、多くの見物客を集めていた。 
 吉田宿の名物は火口(ほくち)。火口は火打石で起こした火花を着火させる材料。旅人の土産として人気があったようだ。また宿場には飯盛女が多かったことでも有名であった。「吉田通れば二階から招く、しかも鹿子の振袖が」などと歌われていた。
 膝栗毛の弥次さん喜多さんは吉田宿を歩いて何時もの狂歌を一首。「旅人を まねく薄(すすき)の ほくちかと ここもよし田の 宿のよねたち」と、”火口(ほくち)”と”まねく→よね”を詠み込んでいる。
  

東海道五十三次之内 吉田・豊川橋 
絵:歌川広重  出版年:天保4年(1833)~ 版本:保永堂 

駅路の鈴(東海道五十三次)・吉田 
絵:北斎  出版年: 

道中画譜・吉田   
絵:前北斎為一(葛飾北斎)  出版年:天保1年(1830) 版元:東壁堂 

東海道五十三次・吉田 
絵:歌川広重  出版年:天保13年(1841) 版元:鶴屋喜右衛門

五十三駅景色入美人画・吉田 
絵:歌川国貞  出版年:天保年間 版元:佐野屋喜兵衛

東海道五十三対・吉田 
絵:  出版年:天保年間 版元:佐野屋喜兵衛

東海道風景図会・吉田   
絵:歌川広重  出版年:嘉永4年(1851) 版元:錦昇堂 

 役者見立東海道五十三次駅・吉田  五十路の駅・吉田
  絵:三代豊国 出版年:嘉永5年(1852)   絵:三代歌川豊国 出版年:嘉永5年(1852) 

双筆五十三次・吉田 
絵:三代歌川豊国 歌川広重  出版年:安政1年(1854)

五十三次図会・吉田 
絵:歌川広重  出版年:嘉永年間(1848~1854)

五十三次名所図会・吉田 
絵:歌川広重  出版年:安政2年(1855)

 東海道名所風景 吉田  末広五十三次 吉田
絵:三代豊国 出版年:文久3年(1863)  絵: 出版年:慶応1年(1865) 

 東海道名所図会 吉田 豊川
出版年:寛政9年(1797) 

 東海道名所図会 吉田天王祭
出版年:寛政9年(1797) 

 東海道五十三駅之図・吉田
絵:長谷川雪旦 文政年間(1818~1829) 

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