浮世絵 名所絵(街道絵) 
 
    

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浮世絵東海道五十三次44 石薬師(いしやくし)

庄野  ←27丁 石薬師  2里27丁→ 四日市

東海道分間之図  編:遠近道印 絵:菱川師宣 出版年:元禄3年(1690)

石薬師宿
 四日市から石薬師宿へ向い日永追分、采女の町を過ぎて「杖つき坂」に至る。この坂の麓に立場があり、茶店で名物の饅頭を売っている。芭蕉の紀行文・笈の小文(宝永6年・1709刊)に、芭蕉は日永追分から「馬かりて杖つき坂上るほど、荷鞍うちかえりて馬より落ぬ」とあり。芭蕉は坂道で落馬したようだ。坂の名の通り杖をつきながらの歩行であったら落馬することはなかったのにと、いまいましいと思いながら一句詠む。
   歩行(かち)ならば 杖つき坂を 落馬哉
 石薬師宿は慶長6年(1601)の伝馬制度が始まったときでなく、元和2年(1616)に指定された宿場。もともと石薬師の門前町として発展してきたが、四日市宿と亀山宿との距離が長かったので宿場が設置された。因みに石薬師宿と亀山宿の間の庄野宿は寛永1年(1624)に設置されている。
 元禄14年(1843)の記録によると本陣3軒、脇本陣はなく旅籠屋は15軒の小規模な宿場。伊勢参道から外れて往来する旅人も少なかった。このため文化12年(1815)に常備する馬は50疋、人足50人と半減することが認められている。
 石薬師宿の名物はうなぎ。北斎の駅路の鈴・石薬師にうなぎ屋の看板が描かれている。広重の保永堂版東海道五十三次の石薬師の浮世絵にはのどかな田園風景の中に宿場の町並みが描かれている。江戸時代はこの辺りの小川にうなぎが遡上して生息していたのだろうか。

東海道五十三次之内 石薬師・石薬師寺 
絵:歌川広重  出版年:天保4年(1833)~ 版本:保永堂 

北斎東海道・石薬師  
絵:画狂人北斎(葛飾北斎)  出版年:享和年間(1801~1803) 

駅路の鈴(東海道五十三次)・石薬師 
絵:北斎  出版年: 

道中画譜・石薬師   
絵:前北斎為一(葛飾北斎)  出版年:天保1年(1830) 版元:東壁堂 

東海道五十三次・石薬師 
絵:歌川広重  出版年:天保13年(1841) 

五十三駅景色入美人画・石薬師 
絵:歌川国貞  出版年:天保年間 版元:佐野屋喜兵衛

東海道五十三対・石薬師 
絵:歌川国芳  出版年:天保年間 

東海道風景図会・石薬師   
絵:歌川広重  出版年:嘉永4年(1851) 版元:錦昇堂 

 役者見立東海道五十三次駅・石薬師  五十路の駅・石薬師
  絵:三代豊国 出版年:嘉永5年(1852)   絵:三代歌川豊国 出版年:嘉永5年(1852) 

双筆五十三次・石薬師 
絵:三代歌川豊国 歌川広重  出版年:安政1年(1854)

五十三次図会・石薬師 
絵:歌川広重  出版年:嘉永年間(1848~1854)

五十三次名所図会・石薬師 
絵:歌川広重  出版年:安政2年(1855)

 東海道名所風景 石薬師  末広五十三次 石薬師
絵:二代広重 出版年:文久3年(1863)  絵: 出版年:慶応1年(1865) 

 東海道名所図会 石薬師寺
出版年:寛政9年(1797) 

 東海道五十三駅之図・石薬師
絵:長谷川雪旦 文政年間(1818~1829) 

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