浮世絵 名所絵(街道絵) |
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浮世絵東海道五十三次51 石部(いしべ) |
草津 | ←2里25丁 | 石部 | 3里12丁→ | 水口 |
東海道分間之図 編:遠近道印 絵:菱川師宣 出版年:元禄3年(1690) |
石部宿 水口宿を出て石部宿へ向かう。ほどなく横田川(野洲川)の渡し場に。横田川は渇水期の10月から2月頃は仮橋が架けられ徒歩で渡るころができる。横田川から夏見(なつみ)の立場へ。ここの茶店の名物は心太(ところてん)。黒蜜を掛けた心太はこの茶店が最初とのこと。 石部宿は野洲川の南岸にある。京を出発して10里ほどの距離にあり一日目の宿泊場所として賑っていた。天保14年(1843)の記録では本陣2軒、脇本陣はなく旅籠屋は32軒あった。 石部宿の名物は夏見の「心太」のほかに「和中散」と「菜飯・田楽」があるが、いずれも石部宿の中ではなく途中の立場、間の宿にある。 「和中散」は胃薬として人気で、家康が当地を訪れたときに腹痛を訴え、和中散を服用してたちまち回復したという逸話がる。石部宿から1里ほど草津方面に向った間の宿・梅の木に薬を商う店舗が5、6軒あった。「菜飯、田楽」を商う茶店は広重の保永堂版東海道五十三次・石部の図に描かれている。茶店の場所は梅の木からさらに1里強草津方面に向った目川の立場にあり、草津宿に近い場所。伊勢参りや商用で東海道を往来する旅人は多く店舗や茶店は賑っていた。 |
東海道五十三次之内 石部・目川ノ里 |
絵:歌川広重 出版年:天保4年(1833)~ 版本:保永堂 |
北斎東海道・石部 |
絵:画狂人北斎(葛飾北斎) 出版年:享和年間(1801~1803) |
駅路の鈴(東海道五十三次)・石部 |
絵:北斎 出版年: |
道中画譜・石部 | 道中画譜・水口 |
絵:前北斎為一(葛飾北斎) 出版年:天保1年(1830) 版元:東壁堂 |
東海道五十三次・石部 |
絵:歌川広重 出版年:天保13年(1841) |
五十三駅景色入美人画・石部 |
絵:歌川国貞 出版年:天保年間 |
東海道五十三対・石部 |
絵:歌川国芳 出版年:天保年間 |
東海道風景図会・石部 | |
絵:歌川広重 出版年:嘉永4年(1851) |
役者見立東海道五十三次駅・石部 | 五十路の駅・石部 |
絵:三代豊国 出版年:嘉永5年(1852) | 絵:三代歌川豊国 出版年:嘉永5年(1852) |
双筆五十三次・石部 |
絵:三代歌川豊国 歌川広重 出版年:安政1年(1854) |
五十三次図会・石部 |
絵:歌川広重 出版年:嘉永年間(1848~1854) |
五十三次名所図会・石部 |
絵:歌川広重 出版年:安政2年(1855) |
東海道名所風景 石部 | 末広五十三次 石部 |
絵:芳年 出版年:文久3年(1863) | 絵: 出版年:慶応1年(1865) |
伊勢参宮名所図会 横田川 | |
出版年:寛政9年(1797) |
伊勢参宮名所図会 夏見の里 | |
出版年:寛政9年(1797) |
伊勢参宮名所図会 石部宿 | |
出版年:寛政9年(1797) |
伊勢参宮名所図会 目川 | 伊勢参宮名所図会 梅の木 |
出版年:寛政9年(1797) |
東海道名所図会 梅の木 | |
出版年:寛政9年(1797) |
東海道名所図会 目川 |
東海道五十三駅之図・石部 |
絵:長谷川雪旦 文政年間(1818~1829) |
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