浮世絵 街道絵(浮世絵東海道五十三次) 
 
    

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浮世絵東海道五十三次02 川崎(かわさき)

神奈川  ←2里18丁 川崎  2里18丁 品川

東海道分間之図  編:遠近道印 絵:菱川師宣 出版年:元禄3年(1690)

川崎宿
 品川宿から2里半(約9.8㎞)。六郷川(多摩川)を渡し船で越えれば川崎宿へ。六郷川には慶長5年(1600)に六郷大橋が竣工したが度々の洪水で被害を受け、その都度架け直されたが元禄元年(1688)の洪水によって流された後は再建されず。以後は渡し船での通行となった。掲載の「東海道分間之図」には六郷川に橋が架かっているが出版年の元禄3年(1690)には既に橋はなかった。絵図作成時に橋はあったが、木版画での出版のタイムラグで修正に至らなかったようだ。
 川崎に宿場が設けられたのは東海道に伝馬制度が制定された慶長6年(1601)から遅れて元和9年(1616)になってから。品川宿から神奈川宿まで5里(約19.6㎞)と距離があり、交通量の増加と共に品川、神奈川宿の負担が増してきたことから中間地点の川崎に宿場が設けられた。川崎宿は東海道を往来する人や荷物だけでなく川崎大師の参拝客もあり、また六郷川の渡船の権利を持っていたこともあり比較的裕福な宿場町であったようだ。
 川崎宿には天保14年の記録では本陣が2軒、旅籠屋は72軒あった。旅籠屋のなかで有名なのは奈良茶飯が人気の「万年屋」。奈良茶飯は少量のお米と小豆や栗、粟などをお茶の煎じ汁で炊き込んだご飯。一膳めし屋から出発して本陣をも凌ぐ旅館に成長。十返舎一九の道中膝栗毛でも取り上げられ、川崎大師の参拝客や東海道を往来する旅人で賑っていた。
  

東海道五十三次之内 川崎・六郷渡 
絵:歌川広重  出版年:天保4年(1833)~ 版本:保永堂 

北斎東海道・川崎 
絵:画狂人北斎(葛飾北斎)  出版年:享和年間(1801~1803) 

駅路の鈴(東海道五十三次)・川崎 
絵:北斎  出版年:

道中画譜・川崎  
絵:前北斎為一(葛飾北斎) 出版年:天保1年(1830) 版元:東壁堂 

東海道五十三次・川崎 
絵:歌川広重  出版年:天保13年(1841) 

五十三駅景色入美人画・川崎 
絵:歌川国貞  出版年:天保年間 

東海道五十三対・川崎 
絵:歌川国芳  出版年:天保年間 

東海道風景図会・川崎(鶴見川)   
絵:歌川広重  出版年:嘉永4年(1851) 版元:錦昇堂 

 役者見立東海道五十三次駅・川崎
絵:三代歌川豊国 出版年:嘉永5年(1852) 

双筆五十三次・川崎 
絵:三代歌川豊国 歌川広重  出版年:安政1年(1854)

五十三次図会・川崎 
絵:歌川広重  出版年:嘉永年間(1848~1854)

五十三次名所図会・川崎 
絵:歌川広重  出版年:安政2年(1855)

 東海道名所風景 川崎  末広五十三次 川崎
絵:二代歌川広重 出版年:文久3年(1863)  絵:貞秀 出版年:慶応1年81865) 

 江戸名所図会 六郷渡し場
絵:長谷川雪旦 出版年:天保5年(1834) 

 江戸名所図会 万年屋
絵:長谷川雪旦 出版年:天保5年(1834) 

 東海道五十三駅之図・川崎
絵:長谷川雪旦 文政年間(1818~1829) 

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