浮世絵 街道絵(浮世絵東海道五十三次) 
 
    

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浮世絵東海道五十三次03 神奈川(かながわ)

程ヶ谷  ←1里9丁 神奈川  2里18丁→ 川崎

東海道分間之図  編:遠近道印 絵:菱川師宣 出版年:元禄3年(1690)

神奈川宿
 川崎宿から神奈川宿まで2里半(約9.8km)。途中のほぼ中間地点の生麦村に「立場」があり、ここには「志からき茶店」という水茶屋があった。立場は人足や旅行者が休息する場所。志からき茶店の名物は梅干しと梅漬の生姜。旅の疲れを癒してくれる効果があるのか大いに繁昌していたようだ。(志からき茶屋があったのは鶴見であるという説もある)
 神奈川宿には中世から東京湾の物流拠点として重要な位置にあった神奈川湊があり、宿場は陸と海の人・物の往来で活況があった。天保14年の記録では本陣が2軒、旅籠屋は58軒あった。人口は5,793人で、これは現在の神奈川県内にある東海道の宿場としては最も多かった。
また神奈川宿には浦島太郎の伝説もあり、享保年間(1716~1736)に創業した「若菜屋」が小麦粉と砂糖などで作った「亀の甲せんべい」が宿場名物として人気があったようです。残念ながら現在は途絶えてしまっている。
 嘉永7年(1854)神奈川宿(湊)の対岸にある横浜村で日米和親条約(神奈川条約ともいう)が締結される。安政5年(1858)には日米修好通商条約が締結されて神奈川開港が決定。但し神奈川湊の開港を要望した諸外国に対し日本側は横浜村を開港地として安政6年に開港する。以後、神奈川宿や神奈川湊の商人、廻船問屋も横浜に移転し、横浜は急速に発展する。
 

東海道五十三次之内 神奈川・台之景 
絵:歌川広重  出版年:天保4年(1833)~ 版本:保永堂 

北斎東海道・神奈川  
絵:画狂人北斎(葛飾北斎)  出版年:享和年間(1801~1803) 

駅路の鈴(東海道五十三次)・神奈川
絵:北斎  出版年: 

道中画譜・神奈川 
絵:前北斎為一(葛飾北斎)  出版年:天保1年(1830)

東海道五十三次・神奈川 
絵:歌川広重  出版年:天保13年(1841) 版元:鶴屋喜右衛門

五十三駅景色入美人画・神奈川 
絵:歌川国貞  出版年:天保年間 

東海道五十三対・神奈川 
絵:三代豊国  出版年:天保年間 版元:佐野屋喜兵衛

東海道五十三次細見図会・ 神奈川 
絵:歌川広重  出版年:天保14年(1843)~弘化4年(1847) 

東海道風景図会・神奈川   
絵:歌川広重  出版年:嘉永4年(1851) 版元:錦昇堂 

 役者見立東海道五十三次駅・神奈川1  役者見立東海道五十三次駅・神奈川2
  絵:三代豊国 出版年:嘉永5年(1852)   絵:三代歌川豊国 出版年:嘉永5年(1852) 

双筆五十三次・神奈川 
絵:三代歌川豊国 歌川広重  出版年:安政1年(1854)

五十三次図会・神奈川 
絵:歌川広重  出版年:嘉永年間(1848~1854)

五十三次名所図会・神奈川 
絵:歌川広重  出版年:安政2年(1855)

 東海道名所風景 神奈川  末広五十三次 神奈川
絵:芳虎 出版年:文久3年(1863)  絵: 出版年:慶応1年81865) 

 江戸名所絵図 生麦村・志からき茶店 川崎宿と神奈川宿の中間の立場
絵:長谷川雪旦 出版年:天保5年(1834) 

 江戸名所絵図 神奈川宿総図1
絵:長谷川雪旦 出版年:天保5年(1834) 

 江戸名所絵図 神奈川宿総図2
絵:長谷川雪旦 出版年:天保5年(1834) 

 江戸名所絵図 神奈川台
絵:長谷川雪旦 出版年:天保5年(1834) 

 東海道五十三駅之図・神奈川
絵:長谷川雪旦 文政年間(1818~1829) 

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