浮世絵 街道絵(浮世絵東海道五十三次) 
 
    

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浮世絵東海道五十三次09 小田原(おだわら)

箱根  ←4里8丁 小田原 4里 → 大磯

東海道分間之図  編:遠近道印 絵:菱川師宣 出版年:元禄3年(1690)

小田原宿
 大磯宿から小田原宿まで4里・約15.7kmの道程だがほぼ平坦な道が続くので歩行に問題はない。ただし小田原宿手前の酒匂川(さかわがわ)には橋がなく、渡船もない。徒渉(かちわたり)となり、ちょっと厄介だ。※①延宝2年(1669)までは渡船による通行が可能だった。②冬場は仮橋が架けられ通行できたようだ。
 広重の保永堂版の東海道五十三次でも酒匂川の徒渉の様子が描かれている。旅人は蓮台に乗るか川越人足の肩に担がれて渡っている。川越人足の手引きがなければ渡れない制度があった。
 小田原は徳川幕府譜代大名が居城する城下町。貞享3年(1688)以降は大久保氏が10万3千石を拝領して明治維新まで城主を務める。小田原宿も城下町の一部に組み込まれている。天保14年(1843)の記録では本陣4軒、脇本陣4件、旅籠屋95軒と品川宿を凌ぐ規模。箱根越を前にして準備を整える旅人や箱根を越えて安堵する旅人で賑わっていた。
 江戸時代の小田原名物といえば①小田原ちょうちん②透頂香(とうちんこう)③竹ゐ④梅漬。①の小田原ちょうちんは携帯に便利なように筒型でコンパクトに折りたためるのが特徴。箱根越の必需品?。②の透頂香は丸薬で薬用のういろう。菓子としてのういろうもある。③の「竹ゐ」は鰹やイカの塩辛。小田原では塩の生産も行われていた。④の梅漬は青梅の塩漬け。戦国時代小田原北条氏により軍用として製造が奨励され、江戸時代は箱根越えの旅行者が携帯し疲労回復用として重宝された
。 

東海道五十三次之内 小田原・酒匂川 
絵:歌川広重  出版年:天保4年(1833)~ 版本:保永堂 

駅路の鈴(東海道五十三次)・小田原 
絵:北斎  出版年: 

道中画譜・箱根  道中画譜・小田原 
絵:前北斎為一(葛飾北斎)  出版年:天保1年(1830) 版元:東壁堂 

東海道五十三次・小田原 
絵:歌川広重  出版年:天保13年(1841) 

五十三駅景色入美人画・小田原 
絵:歌川国貞  出版年:天保年間 版元:佐野屋喜兵衛

東海道五十三対・小田原 
絵:歌川国芳  出版年:天保年間 

東海道風景図会・小田原   
絵:歌川広重  出版年:嘉永4年(1851) 版元:錦昇堂 

 役者見立東海道五十三次駅・小田原  五十路の駅・小田原
  絵:三代豊国 出版年:嘉永5年(1852)   絵:三代歌川豊国 出版年:嘉永5年(1852) 

双筆五十三次・小田原
絵:三代歌川豊国 歌川広重  出版年:安政1年(1854)

五十三次図会・小田原 
絵:歌川広重  出版年:嘉永年間(1848~1854)

五十三次名所図会・小田原 
絵:歌川広重  出版年:安政2年(1855)

 東海道名所風景 小田原  末広五十三次 小田原
絵:歌川芳盛 出版年:文久3年(1863)  絵:月岡芳年 出版年:慶応元年(1865) 

 東海道名所図会 ういろう
出版年:寛政9年(1797) 

 東海道五十三駅之図・小田原
絵:長谷川雪旦 文政年間(1818~1829) 

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