浮世絵 街道絵(浮世絵東海道五十三次) 
 
    

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浮世絵東海道五十三次16 由比(ゆい)

興津  ←2里12丁 由比  1里→ 蒲原

東海道分間之図  編:遠近道印 絵:菱川師宣 出版年:元禄3年(1690)

由比宿
 由比は鎌倉時代には湯居と書かれていた。江戸時代には由井とも書かれる。歴史的には古い宿場であるが、東海道の中で最も規模の小さな宿場の一つである。天保14年(1843)の記録では本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠屋は32軒であった。海と山の間の狭い土地にあるので拡張のしようがなかったようだ。由比の名物としては、現在は桜エビが有名だが、これは明治時代になってから漁獲されるようになったもの。江戸時代は「サザエの壷焼」が名物だった。また「強飯(こわめし=おこわ)」も名物だったようで弘化2年(1845)に伊勢参りの旅人はお代48文を支払って食べたと備忘録に書いている。
 宿場を離れて西に進み由比川を渡ると倉沢という立場にでる。ここの茶店でサザエの壺焼きが食べられる。弥次さん喜多さんはここで小休止。文無しの二人がサザエの壺焼きを食べることが出来たかどうかは分からないが一首残している。
  ここもとに 売るはさざえの 壺焼や 見どころおほき 倉沢の宿
 この先は標高約90mの薩埵(さった)峠。駿河湾と富士山が一望できる絶景スポット。この峠道ができたのは慶長12年(1607)で、朝鮮通信使の来日の為に整備したものという。それまでは北陸の「親不知」と同様に波にさらわれる恐れのあった峠下の海岸線にそって通行していた。しかし安政1年(1854)の安政大地震で峠道が崩壊し通行不能になる。この時は眼下の海岸が隆起して通行可能となり東海道も海岸道を使用した。

東海道五十三次之内 由比・薩タ埵嶺 
絵:歌川広重  出版年:天保4年(1833)~ 版本:保永堂 

駅路の鈴(東海道五十三次)・由比 
絵:北斎  出版年: 

道中画譜・興津  道中画譜・由比 
絵:前北斎為一(葛飾北斎)  出版年:天保1年(1830) 版元:東壁堂 

東海道五十三次・由比 
絵:歌川広重  出版年:天保13年(1841) 版元:鶴屋喜右衛門

五十三駅景色入美人画・由比 
絵:歌川国貞  出版年:天保年間 版元:佐野屋喜兵衛

東海道五十三対・由比 
絵:歌川国芳  出版年:天保年間 

東海道風景図会・由比   
絵:歌川広重  出版年:嘉永4年(1851) 版元:錦昇堂 

 役者見立東海道五十三次駅・由比  五十路の駅・由比
  絵:三代豊国 出版年:嘉永5年(1852)   絵:三代歌川豊国 出版年:嘉永5年(1852) 

双筆五十三次・由比 
絵:三代歌川豊国 歌川広重  出版年:安政1年(1854)

五十三次図会・由比
絵:歌川広重  出版年:嘉永年間(1848~1854)

五十三次名所図会・由比 
絵:歌川広重  出版年:安政2年(1855)

 東海道名所風景 由比  末広五十三次 由比
絵:二代広重 出版年:文久3年(1863)  絵: 出版年:慶応1年81865) 

 東海道名所図会 由比 富士川
出版年:寛政9年(1797) 

 東海道名所図会 由比 薩埵峠 倉沢茶店
出版年:寛政9年(1797) 

 東海道五十三駅之図・由比
絵:長谷川雪旦 文政年間(1818~1829) 

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