浮世絵 街道絵(浮世絵東海道五十三次) |
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浮世絵東海道五十三次24 金谷(かなや) |
日坂 | ←1里24丁 | 金谷 | 1里 → | 島田 |
東海道分間之図 編:遠近道印 絵:菱川師宣 出版年:元禄3年(1690) |
金谷宿 東海道を東に向かう旅人にとって金谷宿は東海道一の難所とされる大井川の西側の渡り口となる。天保14年(1843)の記録では本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠屋は51軒あった。金谷宿は島田宿と同じく川会所が設けられて大井川の川越を管理している。これによって宿場財政は豊かであったようだ。 金谷宿から日坂宿までは1里24丁。宿場から西に向かうとすぐに金谷坂と呼ばれる急坂に出る。ここには石畳が敷かれていた。更に進むと間の宿・菊川宿に出る。菊川宿は東海道53次の指定宿場ではないが東海道の難所一つ小夜の中山の東麓にあり、中世より宿場として存在していた。菊川宿では菜飯田楽が名物。ここの菜飯は大根の葉あるいは小松菜の葉を湯通しして焙烙鍋で煎り、粉状にして塩で味付けしてご飯に混ぜたもの。田楽は豆腐を軽く絞り串にさして味付けした味噌をまぶして炉端で焼いたもの。東海道を行き交う旅人の人気を得ていた。 菊川宿を出て小夜の中山峠への道を登る。膝栗毛の弥次さん喜多さんは雨の降る中「さかみちすべりて やうやうと さよの中山たてばにいたる」。ここは「飴の餅」が名物で、「しろきもちに 水あめをくるみていだす」と言っている(書いてある)。「さよの中山たてば」は中山峠のことだろうか?。弥次さん喜多さんは酒飲みで甘いものは口に合わないようだ。「ここもとの 名物ながら われわれは ふり出すあめの もちあましたり」と、「雨の(を)持ち余す」と「飴の餅余す」を掛けて一首詠んでいる。 弘化2年(1845)に東海道を経由して伊勢参りの旅人は「小夜中山 平丸餅 5文」と備忘録に記載している。平丸餅は飴の餅と同じものだろうか。小夜の中山の名物には「夜泣石(よなきいし)」の伝説に因んだ「子育て飴」もある。こちらは餅はなく水飴だけのようだ。 |
東海道五十三次之内 金谷・大井川遠岸 |
絵:歌川広重 出版年:天保4年(1833)~ 版本:保永堂 |
北斎東海道・金谷 |
絵:画狂人北斎(葛飾北斎) 出版年:享和年間(1801~1803) |
駅路の鈴(東海道五十三次)・金谷 |
絵:北斎 出版年: |
道中画譜・金谷 | |
絵:前北斎為一(葛飾北斎) 出版年:天保1年(1830) 版元:東壁堂 |
東海道五十三次・金谷 |
絵:歌川広重 出版年:天保13年(1841) 版元:鶴屋喜右衛門 |
五十三駅景色入美人画・金谷 |
絵:歌川国貞 出版年:天保年間 版元:佐野屋喜兵衛 |
東海道五十三対・金谷 |
絵:歌川広重 出版年:天保年間 |
東海道風景図会・金谷 | |
絵:歌川広重 出版年:嘉永4年(1851) 版元:錦昇堂 |
役者見立東海道五十三次駅・金谷 | 五十路の駅・金谷 |
絵:三代豊国 出版年:嘉永5年(1852) | 絵:三代歌川豊国 出版年:嘉永5年(1852) |
双筆五十三次・金谷 |
絵:三代歌川豊国 歌川広重 出版年:安政1年(1854) |
五十三次図会・金谷 |
絵:歌川広重 出版年:嘉永年間(1848~1854) |
五十三次名所図会・金谷 |
絵:歌川広重 出版年:安政2年(1855) |
東海道名所風景 金谷 | 末広五十三次 金谷 |
絵: 出版年:文久3年(1863) | 絵:二代広重 出版年:慶応1年(1865) |
東海道名所風景 菊川宿 |
絵:二代広重 出版年:文久3年(1863) |
東海道名所風景 小夜の中山 |
絵:二代国貞 出版年:文久3年(1863) |
東海道名所図会 大井川 | |
出版年:寛政9年(1797) |
東海道名所図会 菊川宿 | |
出版年:寛政9年(1797) |
東海道名所図会 小夜中山 | |
出版年:寛政9年(1797) |
東海道五十三駅之図・金谷 |
絵:長谷川雪旦 文政年間(1818~1829) |
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