浮世絵 名所絵(街道絵) 
 
    

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浮世絵東海道五十三次50 水口(みなぐち)

石部  ←3里12丁 水口  2里25丁 土山

東海道分間之図  編:遠近道印 絵:菱川師宣 出版年:元禄3年(1690)

水口宿
 水口は平安時代から伊勢国へ通じる交通の要所で伊勢参りの参詣路の宿場として栄えていた地。天正13年(1585)に秀吉の命で中村一氏がこの地で城を築き、宿場を取り込んで城下町を整備。しかし水口城(水口岡山城)は慶長5年(1600)の関ヶ原の戦の後に廃城となる。宿場は慶長6年(1601)の徳川幕府の伝馬制度により東海道の宿場に指定される。水口は幕府直轄地となり将軍家が上洛の際に休息・宿泊する設備として「水口御殿」が築かれる。寛永11年(1634)の三代将軍家光の上洛に際してこれまでの水口御殿を廃して宿場から西に約1kmほど離れた場所に水口城(水口御茶屋)を築く。天和2年(1682)に幕府直轄から加藤氏が2万石で移封されて水口城を居城とする。城下町が整備され、水口宿は東側見付(宿場入口)から道筋が三筋に別れて西側の城下町で一筋に合流する特異な形をした宿場町を形成。天保14年(1843)の記録では本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠屋は41軒あった。
 水口宿の名物は広重の保永堂版東海道五十三次・水口宿に描かれている「干瓢(かんぴょう)」、北斎が描いた「葛藤(つづらふじ)細工」と「泥鰌(どじょう)汁」

東海道五十三次之内 水口・名物干瓢 
絵:歌川広重  出版年:天保4年(1833)~ 版本:保永堂 

北斎東海道・水口  
絵:画狂人北斎(葛飾北斎)  出版年:享和年間(1801~1803) 

駅路の鈴(東海道五十三次)・水口 
絵:北斎  出版年: 

道中画譜・石部  道中画譜・水口 
絵:前北斎為一(葛飾北斎)  出版年:天保1年(1830) 版元:東壁堂 

東海道五十三次・水口 
絵:歌川広重  出版年:天保13年(1841) 

五十三駅景色入美人画・水口 
絵:歌川国貞  出版年:天保年間 

東海道五十三対・水口 
絵:歌川国芳  出版年:天保年間 

東海道風景図会・水口   
絵:歌川広重  出版年:嘉永4年(1851)  

 役者見立東海道五十三次駅・水口  五十路の駅・水口
  絵:三代豊国 出版年:嘉永5年(1852)   絵:三代歌川豊国 出版年:嘉永5年(1852) 

双筆五十三次・水口 
絵:三代歌川豊国 歌川広重  出版年:安政1年(1854)

五十三次図会・水口 
絵:歌川広重  出版年:嘉永年間(1848~1854)

五十三次名所図会・水口 
絵:歌川広重  出版年:安政2年(1855)

 東海道名所風景 水口  末広五十三次 水口
絵:国周 出版年:文久3年(1863)  絵:貞秀 出版年:慶応1年(1865) 

 伊勢参宮名所図会 水口
出版年:寛政9年(1797) 

 東海道五十三駅之図・水口
絵:長谷川雪旦 文政年間(1818~1829) 

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