浮世絵 街道絵(浮世絵東海道五十三次) 
 
    

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浮世絵東海道五十三次12 沼津(ぬまづ)

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東海道分間之図  編:遠近道印 絵:菱川師宣 出版年:元禄3年(1690)

沼津宿
 三島宿を出て少し歩けば伊豆国と駿河国の境を流れる境川に出る。ここには灌漑用水を通すために境川の上に架けられた千貫樋(せんがんどい)と呼ばれる木製の樋がある。現在はコンクリート製に架け替えられているが、灌漑用水路として今も利用されている。長さは40mほど、幅は2m弱。最初に樋が架けられた時期は諸説あるようですが天文24年(1555)頃といわれています。天保1年(1830)に出版された北斎の道中画譜に千貫樋が描かれている。沼津宿へはここから1時間程の道程。
 沼津は戦国時代後期、甲斐の武田氏と小田原北条氏との係争の地。武田氏が滅亡後は徳川家康が支配。関ヶ原合戦後の慶長6年(1601)に家康の家臣大久保忠佐が2万石を拝領して沼津城を居城とする。同時期に沼津宿も伝馬制度に基づく宿場として出発。大久保氏は慶長18年(1613)に無嗣断絶となり沼津は幕府直轄地となるが、安永6年(1777)になって水野忠友が沼津に2万石(後に5万石)で入封。沼津城は再建されて沼津宿は再び城下町と一体となった宿場町となる。天保14年(1843)の記録では本陣が3軒、脇本陣が1軒、旅籠屋が55軒であった。
 沼津は宿場町であるが好漁場の駿河湾に面した漁業の町でもある。江戸時代ここで生産されるかつおぶしは名物として広く知られていた。広重の五十三次図会にもかつおを干している様子が描かれている。また狩野川でとれる鮎を使った料理も沼津宿の名物料理として旅人に人気があった。
 

東海道五十三次之内 沼津・黄昏図 
絵:歌川広重  出版年:天保4年(1833)~ 版本:保永堂 

駅路の鈴(東海道五十三次)・沼津 
絵:北斎  出版年: 

道中画譜・沼津   
絵:前北斎為一(葛飾北斎)  出版年:天保1年(1830) 版元:東壁堂 

東海道五十三次・沼津 
絵:歌川広重  出版年:天保13年(1841) 版元:鶴屋喜右衛門

五十三駅景色入美人画・沼津 
絵:歌川国貞  出版年:天保年間 版元:佐野屋喜兵衛

東海道五十三対・沼津 
絵:歌川国芳  出版年:天保年間 

東海道風景図会・沼津   
絵:歌川広重  出版年:嘉永4年(1851)  

 役者見立東海道五十三次駅・沼津  五十路の駅・沼津
  絵:三代豊国 出版年:嘉永5年(1852)   絵:三代歌川豊国 出版年:嘉永5年(1852) 

双筆五十三次・沼津 
絵:三代歌川豊国 歌川広重  出版年:安政1年(1854)

五十三次図会・沼津 
絵:歌川広重  出版年:嘉永年間(1848~1854)

五十三次名所図会・沼津 
絵:歌川広重  出版年:安政2年(1855)

 東海道名所風景 沼津  末広五十三次 沼津
絵:三代歌川豊国 出版年:文久3年(1863)  絵:国輝 出版年:慶応1年(1865) 

 東海道五十三駅之図・沼津
絵:長谷川雪旦 文政年間(1818~1829) 

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