浮世絵 街道絵(浮世絵東海道五十三次) |
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浮世絵東海道五十三次21 岡部(おかべ) |
藤枝 | ←1里29丁 | 岡部 | 1里29丁→ | 鞠子 |
東海道分間之図 編:遠近道印絵:菱川師宣 出版年:元禄3年(1690) |
岡部宿 鞠子宿から東海道難所の一つ、宇津ノ谷峠を越えて岡部宿へ。平安時代の伊勢物語に登場する峠道は「蔦の細道(つたのほそみち)」と呼ばれた暗く細くツタや楓が生い茂る道。江戸時代の峠道は天正18年(1590)秀吉の小田原征伐に際して、遠征する大軍が通行できるように1kmほど西に新たに切り開いた道。それでも峠は標高約160mにあり厳しい峠道であることには変わりない。江戸時代になり通行者が飛躍的に増え、峠には立場ができて茶屋も開いた。この茶屋では名物の「十団子(とおだんご)」が売られていた。十団子は小さな餅の団子を数珠のように白い糸でつないだもの。 膝栗毛の弥次さん喜多さんは激しい雨の中を峠越をする。茶屋に差し掛かったところで弥次さんが坂道で転げ「降りしきる 雨やあられの 十だんご ころげて腰を うつの山みち」と唸って、団子は買わず先を急ぐ。 峠を下れば岡部宿。天保14(1843)年の記録では本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠屋は27軒。丸子宿とほぼ同じ規模だが、住民の数では丸子宿の795人に対して岡部宿は2332人と三倍多い。 弥次さん喜多さんは今日中に大井川を超える予定であったが、岡部宿の客引きから大雨で大井川は川止め(通行不可)になったと聞かされる。この先の藤枝宿、島田宿には参勤交代の五家の大名が宿泊していて空部屋はないという。止むを得ず岡部宿で泊まることに。江戸時代の旅人の大変さが分かる。 |
東海道五十三次之内 岡部・宇津之山 |
絵:歌川広重 出版年:天保4年(1833)~ 版本:保永堂 |
北斎東海道・岡部 |
絵:画狂人北斎(葛飾北斎) 出版年:享和年間(1801~1803) |
駅路の鈴(東海道五十三次)・岡部 |
絵:北斎 出版年: |
道中画譜・岡部 (※瀬戸の染飯は藤枝宿と島田宿の間にある瀬戸の立場で売られた名物) | |
絵:前北斎為一(葛飾北斎) 出版年:天保1年(1830) 版元:東壁堂 |
東海道五十三次・岡部 |
絵:歌川広重 出版年:天保13年(1841) 版元:鶴屋喜右衛門 |
五十三駅景色入美人画・岡部 |
絵:歌川国貞 出版年:天保年間 版元:佐野屋喜兵衛 |
東海道五十三対・岡部 |
絵:歌川国芳 出版年:天保年間 |
東海道風景図会・岡部 | |
絵:歌川広重 出版年:嘉永4年(1851) 版元:錦昇堂 |
役者見立東海道五十三次駅・岡部 | 五十路の駅・岡部 |
絵:三代豊国 出版年:嘉永5年(1852) | 絵:三代歌川豊国 出版年:嘉永5年(1852) |
双筆五十三次・岡部 |
絵:三代歌川豊国 歌川広重 出版年:安政1年(1854) |
五十三次図会・岡部 |
絵:歌川広重 出版年:嘉永年間(1848~1854) |
五十三次名所図会・岡部 |
絵:歌川広重 出版年:安政2年(1855) |
東海道名所風景 岡部 | 末広五十三次 岡部 |
絵: 出版年:文久3年(1863) | 絵:芳年 出版年:慶応1年(1865) |
東海道名所図会 宇津の山 | |
出版年:寛政9年(1797) |
東海道五十三駅之図・岡部 |
絵:長谷川雪旦 文政年間(1818~1829) |
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