浮世絵 街道絵(浮世絵東海道五十三次) 
 
    

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浮世絵東海道五十三次04 程ヶ谷(ほどがや)

戸塚  ←2里9丁 程ヶ谷  1里9丁→ 神奈川

東海道分間之図  編:遠近道印 絵:菱川師宣 出版年:元禄3年(1690)

程ヶ谷宿
 慶長2年(1597)岩間、神戸、帷子(かたびら)、程ヶ谷の四つの集落が一体となって程ヶ谷宿が誕生。東海道分間之図に程ヶ谷宿が「新町」と表示されているのは慶安年間の1648年頃に東海道のルート変更があり、それにより宿場も移動して「新町」と呼ばれるようになったと推測。
 江戸方面からの旅行者は宿場入口の前を流れる帷子川に掛けられた帷子橋を渡って宿場に入る。この風景は広重の浮世絵に描かれている。程ヶ谷宿からは金沢文庫方面へ抜ける金沢道の分岐点があり、古来から人馬の往来は頻繁にあったようだ。天保14年(1843)の記録では本陣は1軒、脇本陣は3軒、旅籠屋は67軒あった。
 程ヶ谷宿は江戸・日本橋からは7里9丁(約32km)で、この先の戸塚宿は同じく日本橋から9里半(約41km)。江戸を出発した旅行者の多くはどちらかの宿場を最初の宿泊地とした。とはいえ旅人の心理は少しでも早く先に進みたいと思うもの。そんなこともあって程ヶ谷宿では戸塚宿に客を獲られまいと、十返舎一九が書いた浮世道中膝栗毛ではちょっと強引な客引きの様子が記述されている。
  お泊りは よい程ヶ谷と とめ女 戸塚前(とっつかまえ)て はなさざりけり
 程ヶ谷から戸塚方面に向かうと権太坂に出る。江戸から神奈川宿までは海沿いのほぼ平坦な道が続いていたが、ここで初めて勾配のきつい長い坂道を登ることになる。権太坂を登り切ると「境木(さかいき)」の立場(たてば・旅行者や人足の休息場所)に至る。ここは武蔵国と相模国の境目。立場には茶店があり、名物の牡丹餅を食べることができる。

東海道五十三次之内 程ヶ谷・新町橋  
絵:歌川広重  出版年:天保4年(1833)~ 版本:保永堂 

北斎東海道・程ヶ谷  
絵:画狂人北斎(葛飾北斎)  出版年:享和年間(1801~1803) 

駅路の鈴(東海道五十三次)・程ヶ谷 
絵:北斎  出版年: 

道中画譜・戸塚 道中画譜・程ヶ谷 
絵:前北斎為一(葛飾北斎)  出版年:天保1年(1830) 版元:東壁堂 

東海道五十三次・程ヶ谷 境木立場 
絵:歌川広重  出版年:天保13年(1841) 

五十三駅景色入美人画・程ヶ谷
絵:歌川国貞  出版年:天保年間 版元:佐野屋喜兵衛

東海道五十三対・程ヶ谷 
絵:歌川国芳  出版年:天保年間 

東海道五十三次細見図会・程ヶ谷 
絵:歌川広重  出版年:天保14年(1843)~弘化4年(1847) 

東海道風景図会・程ヶ谷   
絵:歌川広重  出版年:嘉永4年(1851) 版元:錦昇堂 

 役者見立東海道五十三次駅・程ヶ谷  五十路の駅・程ヶ谷
  絵:三代豊国 出版年:嘉永5年(1852)   絵:三代歌川豊国 出版年:嘉永5年(1852) 

双筆五十三次・程ヶ谷 
絵:三代歌川豊国 歌川広重  出版年:安政1年(1854)

五十三次図会・程ヶ谷 
絵:歌川広重  出版年:嘉永年間(1848~1854)

五十三次名所図会・程ヶ谷 
絵:歌川広重  出版年:安政2年(1855)

 東海道名所風景 程ヶ谷  末広五十三次 程ヶ谷
絵:芳艶 出版年:文久3年(1863)  絵:芳幾 出版年:慶応1年81865) 

 江戸名所図会 程ヶ谷・帷子橋
絵:長谷川雪旦 出版年:天保5年(1834) 

 江戸名所図会 程ヶ谷・境木立場
絵:長谷川雪旦 出版年:天保5年(1834) 

 東海道五十三駅之図・品川
絵:長谷川雪旦 文政年間(1818~1829) 

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