浮世絵 街道絵(浮世絵東海道五十三次) 
 
    

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浮世絵東海道五十三次18 江尻(えじり)

府中  ←2里29丁 江尻  1里3丁→ 興津

東海道分間之図  編:遠近道印 絵:菱川師宣 出版年:元禄3年(1690)

江尻宿
 江尻は慶長6年(1601)の徳川幕府による伝馬制度制定による宿場に指定される以前より巴川の水運で発展した町。古代より駿河国の国府所在地であり、室町から戦国時代にかけては今川氏が城を築いて拠点とした駿府(府中)と天然の良港である清水湊に隣接し水運・交通の要衝でもあった。
 戦国時代の永禄11年(1568)武田氏の駿河侵攻の拠点として江尻城が築かれ、小規模の城下町の機能も担う。天正10年(1582)の織田徳川連合軍の武田領侵攻により武田側は徳川に城を明け渡す。徳川家康は天正13年(1585)に駿府に城を築いて本拠にし、江尻城は徳川氏の支配下となる。家康が江戸を本拠として関ヶ原の戦で覇権を確定した後の慶長6年(1601)に江尻城は廃城となる。廃城となった以降も東海道の宿場町として存続し、清水湊を後背地として物流の拠点として繁栄する。天保14年(1843)の記録では本陣2軒、脇本陣3軒、旅籠屋は50軒あった。
 江戸時代、江尻宿は景勝地三保の松原への入口であり、また家康を祀る久能山東照宮への分岐点でもある。弘化2年(1845)に東海道を経由して伊勢参りの旅人は江尻から600文を支払って駕籠で久能山まで行き参拝している。
 江尻宿の名物は「追分羊羹」。元禄時代(1688~)に販売が始まった名物羊羹は現在まで受け継がれている。

東海道五十三次之内 江尻・三保遠望 
絵:歌川広重  出版年:天保4年(1833)~ 版本:保永堂 

北斎東海道・江尻  
絵:画狂人北斎(葛飾北斎)  出版年:享和年間(1801~1803) 

駅路の鈴(東海道五十三次)・江尻 
絵:北斎  出版年: 

道中画譜・府中  道中画譜・江尻 
絵:前北斎為一(葛飾北斎)  出版年:天保1年(1830) 版元:東壁堂 

東海道五十三次・江尻 
絵:歌川広重  出版年:天保13年(1841) 

五十三駅景色入美人画・江尻 
絵:歌川国貞  出版年:天保年間 版元:佐野屋喜兵衛

東海道五十三対・江尻 
絵:歌川広重  出版年:天保年間 

東海道風景図会・江尻   
絵:歌川広重  出版年:嘉永4年(1851) 版元:錦昇堂 

 役者見立東海道五十三次駅・江尻  五十路の駅・江尻
  絵:三代豊国 出版年:嘉永5年(1852)   絵:三代歌川豊国 出版年:嘉永5年(1852) 

双筆五十三次・江尻 
絵:三代歌川豊国 歌川広重  出版年:安政1年(1854)

五十三次図会・江尻 
絵:歌川広重  出版年:嘉永年間(1848~1854)

五十三次名所図会・江尻 
絵:歌川広重  出版年:安政2年(1855)

 東海道名所図会 久能山
出版年:寛政9年(1797) 

 東海道名所図会 三保の松原
出版年:寛政9年(1797) 

 東海道名所風景 江尻  末広五十三次 江尻
絵:国綱 出版年:文久3年(1863)  絵: 出版年:慶応1年81865) 

 東海道五十三駅之図・江尻
絵:長谷川雪旦 文政年間(1818~1829) 

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