浮世絵 街道絵(浮世絵東海道五十三次) 
 
    

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浮世絵東海道五十三次26 掛川(かけがわ)

袋井  ←2里16丁 掛川  1里29丁→ 日坂

東海道分間之図  編:遠近道印 絵:菱川師宣 出版年:元禄3年(1690)

掛川宿
 掛川宿は掛川城の城下町にある。宿場は城下町の南側にあり、入口には掛川藩の番所が設けられていた。天保14年(1843)の記録によれば本陣2軒、脇本陣はなく旅籠屋は30軒あった。一説によると旅籠屋に飯盛女はいなかったという。
 掛川には鎌倉時代から生産されていたという「葛布(くずふ)」が名産品として名高い。葛布は葛の蔓(つる)から繊維を採り布に織ったもので裃(かみしも)、乗馬袴、合羽などの生地に利用された。旅人の土産品としても人気があったようだ。
 掛川宿は駿河湾に面する相良から秋葉山(秋葉神社)を経て信濃へ通じる塩の道(秋葉街道)が東海道と交わる地点。広重の保永堂版東海道五十三次・掛川の絵は秋葉山を遠望する図。橋は二瀬川に架かる大池橋。絵の下辺に描かれた常夜灯は秋葉神社への道標か。広重が描いた掛川宿には大池橋の先に秋葉神社の鳥居が描かれた絵もある。鳥居は秋葉街道への分岐点。
 江戸時代、伊勢参りや金毘羅参りの途中、掛川から東海道を離れて秋葉神社を参拝。山越えして飯田から豊川へ抜ける道に出て鳳来寺山(鳳来寺山東照宮)を参拝。豊川神社を経て御油宿で東海道に合流する旅人も多かったようだ。
 弘化2年(1845)に江戸から東海道を経由して伊勢参りの旅人も掛川宿で宿泊し、→一ノ瀬(宿泊)→秋葉神社→石打(宿泊)→東照宮・鳳来寺門谷町(宿泊)→豊川稲荷→東海道に合流し御油宿で宿泊している。馬や駕籠を利用した記録はなく、旅人は途中で「わらじ」を三足買い換えている。かなりの強行軍であったと推測。
 膝栗毛の弥次さん喜多さんは日坂宿から掛川宿の道中で座頭(ざとう・盲人)の二人連れと諍いを起こす。掛川宿を足早に去る途中、「秋葉三尺坊(※秋葉寺の守り神)への別れ道いたり」弥次兵衛遥拝して「脇差の 二尺五寸も なにかせん 三尺ぼうの 誓いたのべば」と、一首詠む。

東海道五十三次之内 掛川・秋葉山遠望 
絵:歌川広重  出版年:天保4年(1833)~ 版本:保永堂 

駅路の鈴(東海道五十三次)・掛川 
絵:北斎  出版年: 

道中画譜・掛川  道中画譜・日坂 
絵:前北斎為一(葛飾北斎)  出版年:天保1年(1830) 版元:東壁堂 

東海道五十三次・掛川
絵:歌川広重  出版年:天保13年(1841) 版元:鶴屋喜右衛門

五十三駅景色入美人画・掛川 
絵:歌川国貞  出版年:天保年間 版元:佐野屋喜兵衛

東海道五十三対・掛川 
絵:歌川国芳  出版年:天保年間 

東海道風景図会・掛川   
絵:歌川広重  出版年:嘉永4年(1851) 版元:錦昇堂 

 役者見立東海道五十三次駅・掛川  五十路の駅・掛川
  絵:三代豊国 出版年:嘉永5年(1852)   絵:三代歌川豊国 出版年:嘉永5年(1852) 

双筆五十三次・掛川 
絵:三代歌川豊国 歌川広重  出版年:安政1年(1854)

五十三次図会・掛川 
絵:歌川広重  出版年:嘉永年間(1848~1854)

五十三次名所図会・掛川 
絵:歌川広重  出版年:安政2年(1855)

 東海道名所風景 掛川  末広五十三次 掛川
絵:三代豊国 出版年:文久3年(1863)  絵:二代広重 出版年:慶応1年(1865) 

 東海道名所図会 秋葉山社
出版年:寛政9年(1797) 

 東海道名所図会 秋葉山~鳳来寺の道
出版年:寛政9年(1797) 

 東海道名所図会 鳳来寺  
  出版年:寛政9年(1797) 

 東海道五十三駅之図・掛川
絵:長谷川雪旦 文政年間(1818~1829) 

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