浮世絵 街道絵(浮世絵東海道五十三次) 
 
    

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浮世絵東海道五十三次11 三島(みしま)

沼津  ←1里18丁 三島  3里28丁→ 箱根

東海道分間之図  編:遠近道印 絵:菱川師宣 出版年:元禄3年(1690)

三島宿
 箱根宿から三島宿までは3里28丁。小田原から箱根宿までの4里8丁を加えてちょうど箱根8里。三島へは下り道だが急坂もある。それでも半日あれば到達できそうだが、道中膝栗毛の弥次さん喜多さんは何処で時間をつぶしたのか三島で宿をとる。
 三島宿のある三島は伊豆国の国府があったところ。また古来より三島大社が鎮座し、その門前町として発展してきた。源頼朝は治承4年(1180)平氏追討の戦勝を祈願して神領を寄進している。江戸時代、三島大社は東海道に面し宿場のほぼ中心にあった。この地で作られる三島暦は旅の土産としても人気があったようだ。
 三島宿は東海道の宿場であると同時に三島大社の脇からは御殿場道が分岐して甲州へ向う街道の起点であった。また鳥居前からは伊豆半島を縦断する下田道が分岐している。古くから交通の分岐点として人の往来があり交通の要衝であった。天保14年(1843)の記録では本陣が2軒、脇本陣が3軒、旅籠屋は74軒あった。
 幕末、三島で流行った「農兵節(のうへいぶし)」、「ノーエ」という掛け声が入るのでノーエ節ともいわれれている民謡には「♪三島女郎衆はノーエ・・・」という歌詞がある。三島宿で旅籠に泊った弥次さん喜多さんは飯盛女にうつつをぬかしている間に胡麻の蠅(ごまのはえ)に胴巻の路銀を盗られて大慌て。気を付けましょう。

東海道五十三次之内 三島・朝霧 
絵:歌川広重  出版年:天保4年(1833)~ 版本:保永堂 

駅路の鈴(東海道五十三次)・三島 
絵:北斎  出版年: 

道中画譜・三島   
絵:前北斎為一(葛飾北斎)  出版年:天保1年(1830) 版元:東壁堂 

東海道五十三次・三島 
絵:歌川広重  出版年:天保13年(1841) 

五十三駅景色入美人画・三島 
絵:歌川国貞  出版年:天保年間 版元:佐野屋喜兵衛

東海道五十三対・三島 
絵:歌川広重  出版年:天保年間 

東海道風景図会・三島   
絵:歌川広重  出版年:嘉永4年(1851) 版元:錦昇堂 

 役者見立東海道五十三次駅・三島  五十路の駅・三島
  絵:三代豊国 出版年:嘉永5年(1852)   絵:三代歌川豊国 出版年:嘉永5年(1852) 

双筆五十三次・三島 
絵:三代歌川豊国 歌川広重  出版年:安政1年(1854)

五十三次図会・三島 
絵:歌川広重  出版年:嘉永年間(1848~1854)

五十三次名所図会・三島 
絵:歌川広重  出版年:安政2年(1855)

東海道名所風景 三島  末広五十三次 三島
絵:三代歌川豊国 出版年:文久3年(1863)  絵:二代歌川広重 出版年:慶応1年(1865) 

 東海道名所図会 三島大社
出版年:寛政9年(1797) 

 東海道名所図会 三島祭の図  東海道名所図会 三島大社鳥居前
出版年:寛政9年(1797)  出版年:寛政9年(1797) 

 東海道五十三駅之図・三島
絵:長谷川雪旦 文政年間(1818~1829) 

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