浮世絵 街道絵(浮世絵東海道五十三次) 
 
    

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浮世絵東海道五十三次10 箱根(はこね)

三島  ←3里28丁 箱根  4里8丁→ 小田原

東海道分間之図  編:遠近道印 絵:菱川師宣 出版年:元禄3年(1690)

箱根宿
「そこそこに支度して立出けるに けふは名にあふ箱根八里 はやそろそろと つまあがりの石高道をたどり行くほどに・・・」と、道中膝栗毛の弥次さん喜多さんは小田原の宿を少し緊張した様子で出発する。
 箱根の山は天下の険。小田原宿と箱根宿の標高差は約700m。大井川の川越と共に東海道最大の難所とされる。しかし箱根は現在も江戸時代も温泉郷であった。東海道は三枚橋で早川を渡るが、直進すると箱根七湯、温泉郷に向かう「七湯道(ななゆみち)」。湯本、塔ノ沢、堂ケ島、宮ノ下、底倉、木賀、芦之湯の七湯は長期滞在の湯治客で賑っていた。東海道を往来する旅人は宿場以外での宿泊を禁じられていたが、江戸時代後期になると箱根七湯の温泉宿に短期宿泊が認められるようになった。
 箱根宿は慶長6年(1601)の伝馬制度の制定から遅れて元和4年(1618)に開設された。開設にあたり小田原宿から50戸、三島宿から50戸を移動させている。天保14年(1843)の記録では本陣6軒、脇本陣1軒、旅籠屋36軒(72軒?)あった。箱根には関所がある。本陣の数は多いが大名は関所のある場所で宿泊するのを憚ったのか、嫌がったのか宿泊する大名は少なく、休息での利用が多かったようだ。一般の旅人も同じように小田原を夜明け前に早立ちして箱根には滞在せず三島宿まで直行する者も多くいたようだ。
 関所は慶長時代(1596~)には箱根権現の脇に設置されていたようだが、箱根宿の整備に伴い元和5年(1619)頃に宿場に接続する道筋に移動。関所は小田原藩が管理。関所破りを防止するために抜け道5カ所にも関所が設けられていた。
 たとえ通行手形を所持していても関所を通過するのは気持ちが悪いもののようだ。弥次さん喜多さんも
 「春風の 手形をあけて 君が代の 戸ざさぬ関を こゆるめでたさ」と一首したため「斯祝(かくしゅく)して峠の宿に悦びの酒くみかわしぬ」と、箱根に宿をとった。

東海道五十三次之内 箱根・湖水図 
絵:歌川広重  出版年:天保4年(1833)~ 版本:保永堂 

駅路の鈴(東海道五十三次)・箱根 
絵:北斎  出版年: 

道中画譜・箱根  道中画譜・小田原 
絵:前北斎為一(葛飾北斎)  出版年:天保1年(1830) 版元:東壁堂 

東海道五十三次・箱根 
絵:歌川広重  出版年:天保13年(1841) 

五十三駅景色入美人画・箱根 
絵:歌川国貞  出版年:天保年間 版元:佐野屋喜兵衛

東海道五十三対・箱根 
絵:歌川広重  出版年:天保年間 

東海道風景図会・箱根   
絵:歌川広重  出版年:嘉永4年(1851) 版元:錦昇堂 

 役者見立東海道五十三次駅・箱根  五十路の駅・箱根
  絵:三代豊国 出版年:嘉永5年(1852)   絵:三代歌川豊国 出版年:嘉永5年(1852) 

双筆五十三次・箱根 
絵:三代歌川豊国 歌川広重  出版年:安政1年(1854)

五十三次図会・箱根 
絵:歌川広重  出版年:嘉永年間(1848~1854)

五十三次名所図会・箱根 
絵:歌川広重  出版年:安政2年(1855)

 東海道名所風景 箱根  末広五十三次 箱根
絵:芳盛 出版年:文久3年(1863)  絵:貞秀 出版年:慶応1年(1865) 

 箱根七湯方角略図
絵:歌川広重 出版年:嘉永5年(1852) 

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 東海道名所絵図 湯本挽物店  東海道名所絵図 箱根関所 箱根宿
   

 東海道名所絵図 箱根塔之沢温泉
 

 東海道五十三駅之図・箱根
絵:長谷川雪旦 文政年間(1818~1829) 

 東海道五十三駅之図・箱根関所
絵:長谷川雪旦 文政年間(1818~1829) 

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