浮世絵 街道絵(浮世絵東海道五十三次) 
 
    

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浮世絵東海道五十三次15 蒲原(かんばら)

由比  ←1里 蒲原  2里30丁→ 吉原

東海道分間之図  編:遠近道印 絵:菱川師宣 出版年:元禄3年(1690)

蒲原宿
 吉原宿から蒲原宿までは2里30丁。その中間には日本三大急流の一つ富士川が流れている。橋はなく渡船による川越となる。川を渡った先に岩淵という立場があり、そこの茶屋で「栗の粉餅」が売られている。餅に栗の粉をまぶした素朴な菓子だが旅人に人気があったようだ。弘化2年(1845)に江戸から東海道を通り伊勢参りをした旅人の備忘録に「富士川渡し24文」「岩淵栗の粉餅12文」の記載がある。岩淵は富士川を利用した甲斐と駿河の船運の発着場としても賑っていた。
 蒲原宿は富士川の河口に位置し湊の機能もあり鎌倉時代から宿場町として栄えていた。また漁業も盛んで江戸時代は「あわび」が名産品であったようだ。しかし海に近いことで高潮、津波の影響を受けやすく、元禄12年(1699)の台風による高波で数十人が海に流される被害があり、宿場は高台へ移転している。天保14年(1843)の記録では本陣1軒、脇本陣3軒、旅籠屋は42軒あった。
 路銀を三島宿で胡麻の蠅に盗まれた弥次さん喜多さんは普通の旅籠屋に泊まることができず、蒲原宿の外れにあった木賃宿で泊まることに。並の旅籠屋の宿泊賃は食事込みで200文程度。木賃宿は16文から32文程度であったようだ。木賃宿は自炊する旅人が利用するものだが、弥次さん喜多さんは食材も買えず、大名が泊まっている本陣の台所に潜り込んで、言葉巧みに食事をちょろまかしている。

東海道五十三次之内 蒲原・夜之雪 
絵:歌川広重  出版年:天保4年(1833)~ 版本:保永堂 

北斎東海道・蒲原  
絵:画狂人北斎(葛飾北斎)  出版年:享和年間(1801~1803) 

駅路の鈴(東海道五十三次)・蒲原 
絵:北斎  出版年: 

道中画譜・蒲原  道中画譜・吉原 
絵:前北斎為一(葛飾北斎)  出版年:天保1年(1830) 版元:東壁堂 

東海道五十三次・蒲原 
絵:歌川広重  出版年:天保13年(1841) 

五十三駅景色入美人画・蒲原 
絵:歌川国貞  出版年:天保年間 版元:佐野屋喜兵衛

東海道五十三対・蒲原 
絵:歌川国芳  出版年:天保年間 

東海道風景図会・蒲原   
絵:歌川広重  出版年:嘉永4年(1851) 版元:錦昇堂 

 役者見立東海道五十三次駅・蒲原  五十路の駅・蒲原
  絵:三代豊国 出版年:嘉永5年(1852)   絵:三代歌川豊国 出版年:嘉永5年(1852) 

双筆五十三次・蒲原 
絵:三代歌川豊国 歌川広重  出版年:安政1年(1854)

五十三次図会・蒲原 
絵:歌川広重  出版年:嘉永年間(1848~1854)

五十三次名所図会・蒲原 岩淵の立場 
絵:歌川広重  出版年:安政2年(1855)

 東海道名所風景 蒲原  末広五十三次 蒲原
絵: 出版年:文久3年(1863)  絵: 出版年:慶応1年81865) 

 東海道五十三駅之図・蒲原
絵:長谷川雪旦 文政年間(1818~1829) 

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