浮世絵 井原西鶴

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 井原西鶴 (いはら さいかく) 

 井原西鶴と聞けば、文学に疎い私でも即座に好色本の作家であることと浮世草子の先駆けとなった”好色一代男”を思い出す。江戸時代初期後半から中期にかけて活躍し、当時の文学界に新風をもたらしたと、その程度の事は知っていた。しかし、ちょっと調べてみると、西鶴の功績は思っていた以上に大きなものがあるようだ。町人の経済力の高まり、士農工商すべての階層に文字の読み書きができる人が増加したこと、板木による印刷技術の確立、それらがタイミング良く西鶴に活動の場を与えたことにもよるが、何より旧習にとらわれず人間の自由な精神を解放しようとした西鶴の意思が、それは必ずしも西鶴の意図するものでなかったかもしれないが、封建社会の精神的に抑圧された人々に新鮮な驚きを伴い受け入れられたのだと思う。
 初期の作品には古典の模倣、パロディ化といった側面があるものの、それだけでなく、浮世そのものを描くことに力を注いだ西鶴の努力は、残念ながら刊本された草紙の原文を読みこなす力を持たない私にはその神髄までを理解することはできそうにないが、それでも訳本を片手に原文を眺めれば、それなりに西鶴の世界に浸ることができる気がする。
 このページに掲載した本は全てWebで公開されている国立国会図書館のデジタル化資料を編集したもので、西鶴の著作のうち絵入本だけを集めてみました。浮世草子の挿絵が、一枚物の摺り物となり、やがては錦絵へと進化し、浮世絵全盛期に向かう重要な役割を果たしたことがうかがえる。 


 好色一代男 

 作・絵:井原西鶴
 出版年:天和2年(1682)  版元:秋田屋市兵衛
 浮世草子 8巻 

 好色一代男(江戸版) 

 作:井原西鶴
 絵:菱川師宣
 出版年:貞享元年(1684)  版元:川崎七郎兵衛
 浮世草子 8巻 

 諸艶大鑑(好色二代男) 

 作・絵:井原西鶴
 出版年:貞享元年(1684)  版元:池田屋三良右衛門 
 浮世草子 8巻

 凱陣八嶋 

 作::井原西鶴
 絵:
 出版年:貞享2年(1685) ただし芝居初演の年。出版年は不明
 版元:秋田屋市兵衛
 絵入浄瑠璃本 1巻

 好色五人女 

 作:井原西鶴
 絵:吉田半兵衛
 出版年:貞享3年(1686)  版元:森田庄太郎 
 浮世草子 5巻

 好色一代女 

 作:井原西鶴 
 画:吉田半兵衛
 出版年:貞享3年(1686)  版元:
 浮世草子 5巻(全6巻 掲載本は第6巻が欠)

 本朝二十不孝

 作:井原西鶴
 絵:
 出版年:貞享3年(1686)  版元:千種五兵衛 
 浮世草子 5巻

 近代艶隠者

 作:西鷺軒橘泉
 絵:井原西鶴 
 出版年:貞享3年(1686)  版元:河内屋善兵衛
 浮世草子 5巻 西鶴が「序」および「挿絵」を書く。 

 男色大鑑 

 作:井原西鶴
 絵:
 出版年:貞享4年(1687)  版元:万屋清兵衛 
 浮世草子 8巻

 武道伝来記 

 作: 井原西鶴
 絵: 吉田半兵衛
 出版年:貞享4年(1687)  版元:岡田三郎右衛門 
 浮世草子 8巻

 日本永代蔵 

 作:井原西鶴
 絵:
 出版年:貞享5年(1688)  版元:森田庄太郎 
 浮世草子 6巻

 武家義理物語 

 作:井原西鶴
 絵:吉田半兵衛
 出版年:貞享5年(1688)  版元:安井加兵衛 
 浮世草子 6巻

 新可笑記  

 作:井原西鶴
 絵:
 出版年:元禄元年(1688)  版元:岡田三郎右衛門
 浮世草子 5巻

 一目玉鉾

 作:井原西鶴
 絵: 
 出版年:元禄2年(1689)  版元:雁金屋庄兵衛 
 地誌 4巻

 世間胸算用 

 作:井原西鶴
 絵: 
 出版年:元禄5年(1692)  版元:伊丹屋三郎右衛門 
 浮世草子 5巻

 西鶴置土産(遺稿集)

 作:井原西鶴
 絵:蒔絵師源三郎
 出版年:元禄6年(1693) 掲載本は宝永年間(1704〜1711)の再版本
 版元:青山為兵衛 
 浮世草子 5巻

 西鶴織留(遺稿集)

 作:井原西鶴
 絵:蒔絵師源三郎
 出版年:元禄7年(1694)  版元:上村平右衛門他
 浮世草子 6巻

 万の文反古(遺稿集)

 作:井原西鶴
 絵:
 出版年:元禄9年(1696)掲載本は正徳2年(1712)の再版本
 版元:池田屋三良右衛門
 浮世草子 5巻 

 小夜嵐

 作:井原西鶴
 絵: 
 出版年:元禄11年  版元:小川新兵衛
 浮世草子 5巻(全10巻で刊行されたものですが、掲載は後編の5巻のみです。また、本書は西鶴の著書ではないと疑問視する批評が多い) 

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 井原西鶴 年譜  
 寛永19年(1642)   この年、大坂の町人の家に生まれるとされるが出自・家系などは不詳。 
 明暦 2年(1656)   西鶴15歳。この年頃に俳諧を学び始める。 
 寛文 2年(1662)   西鶴21歳。この年頃に俳諧の点者となる。 
 寛文 6年(1666)   西村長愛子編の「遠近集」に”鶴永”の号で発句3区が掲載される。 
 寛文13年(1673)   6月に生玉南坊で12日間の万句俳諧を興行。処女撰書となる「生玉万句」を刊行 
 延宝 1年(1673)   「歌仙大坂俳諧師」を編集・刊行。 
 延宝 2年(1674)   表紙屋庄兵衛版「歳旦発句集」に句を載せて、初めて”西鶴”の号を使う。 
 延宝 3年(1675)   妻死亡。亡妻のために独吟千句を詠み「俳諧独吟一日千句」を刊行。西山宗因が引点句評した「大坂独吟集」を刊行。  
 延宝 5年(1677)   生玉本覚寺で一昼夜千6百句独吟して「俳諧大句集」刊行。 
 延宝 6年(1678)   この年「俳諧胴ほね」「大坂檀林桜千句」「大硯」「俳諧虎渓の橋」「俳諧物種集」刊行。 
 延宝 7年(1679)   この年「仙台大矢数」「西鶴五百韻」「両吟一日千句」「句箱」「飛梅千句」刊行。 
   京都の俳人中島随流が「俳諧破邪顕正」を刊行して、その中で西鶴を”阿蘭陀西鶴”とののしる。また俳人松江維舟は「俳諧熊坂」を刊行して、西鶴を”ばされ句の大将”とののしる。
 延宝 8年(1680)   生玉寺で四千句独吟して「西鶴大矢数」刊行 
 元和 2年(1682)   「好色一代男」刊行 
 貞享 1年(1684)   「諸艶大鑑」刊行。「古今俳諧女歌仙」を編集・刊行 
 貞享 2年(1685)   1月、宇治加賀掾のために浄瑠璃「暦」新作して刊行。同月「西鶴諸国ばなし」、2月「椀久一世の物語」刊行。時期不明ながらこの年に加賀掾のために浄瑠璃「凱陣八嶋」新作。 
 貞享 3年(1686)    2月「好色5人女」、6月「好色一代女」、11月「本朝二十不孝」刊行。 
 貞享 4年(1687)   1月「男色大鑑」、3月「懐硯」、4月「武道伝来記」刊行。 
 貞享 5年(1688)   1月「日本永代蔵」、2月「武家義理物語」、3月「嵐無常物語」、6月「色里三所世帯」「好色盛衰記」刊行 
   この年、将軍綱吉の息女鶴姫の”いみな”をさけて鶴の字の使用を禁ずる「鶴字法度」が出される。このため西鶴は”西鵬”と号することになった。(ここではこれにかかわらず西鶴と表記します) 
 元禄 1年(1688)   11月「新可笑記」刊行。この年の9月に改元。貞享→元禄。 
 元禄 2年(1689)   1月「一目玉鉾」「本朝桜陰比事」刊行。 
 元禄 3年(1690)   この年前後、西鶴は病気がちで、この年の出版はない。 
 元禄 4年(1691)   8月難波松魂軒の名前で「俳諧石車」刊行。これは元禄3年に加賀田可休が出版した「物見車」で西鶴を批判したことへの反論として出版されたもの。 
 元禄 5年(1692)   1月「世間胸算用」刊行。 
 元禄 6年(1693)   8月西鶴大阪にて死す。享年52歳。辞世の句「浮世の月 見過しにけり 末二年」 
 この冬、第1遺稿集となる「西鶴置土産」刊行。
 元禄 7年(1694)     第2遺稿集「西鶴織留」刊行。 
 元禄 8年(1695)   第3遺稿集「西鶴俗つれづれ」刊行。 
 元禄 9年(1696)   第4遺稿集「万の文反古」刊行。 
 元禄12年(1699)   第5遺稿集「西鶴名残の友」刊行。 

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