少しばかりの知識を得ると、凡人は誰かにそれを披露したくなる。この私も然り。武家義理物語の解説書を読んで、そこで得た知識を誰彼となく話したくなった。武家義理物語は貞享5年(1688)に出版され、6巻27章で構成されているが、その自序で「人間の一心、万人ともに変わることなし。長剣させば武士、烏帽子をつければ神主、黒衣を着れば出家、鍬を握れば百姓、手斧を使うは職人、算盤を持てば商人。それぞれ違った生き方をしているのは職能の違いによるもので本質的な違いではない。 弓馬は侍の役目なり。知行を与えているのは主君が万一の時に備えてのことである。その大義を忘れて、時の喧嘩口論など私情のために身を滅ぼすのは武の道にあらず。義理に身を果たすのは当然のこと。そこで私(西鶴)は義理を果たした立派な武士の物語を書いた」西鶴がこのような自序を書いて出版した背景には私情に走って身を滅ぼす武士が多くいたからなのだろう。それにしても自然人としては士農工商皆な同じ、支配階級にある武士はもっとしっかりしろと、一介の町人にこのような事を書かれて騒動にならなかったのだろうか。咎めがあった記録はないので、武家側にもこの頃はまだまだ度量があったようだ。そんな思いで読んでみると(私は相変わら訳文を読むだけだが)少しは見方が変わってくる。 |