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武道伝来記 1  (ぶどう でんらいき)
浮世草子  8巻  絵師:吉田半兵衛  作者:井原西鶴  出版:貞享4年(1687) 版元:岡田三郎右衛門 

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 武道伝来記は全8巻。出版は貞享4年(1687)。 各巻4話の短編で構成されて、”諸国敵打”の副題が付けられているように各地で実際にあった仇打ちがテーマとなっている。
 町人である西鶴が武家物を書くにいたったのは何か理由があってのことだろうか。これまでの作品に武家が登場しなかったわけではないが、それは風俗、色道という側面からとらえたもので、武家の体面を正面からとらえたものではなかったと思う。
 これまでの作風と違う物に挑戦したいという作家の欲望がこの作品を書かせたのか。西鶴の人気に便乗した版元が商売だけを目的に書かせたのか。あるいは「男色大鑑」で武家の男色の因習を取り上げたことで、それを補う必要から武家を正面から描かざるを得なくなったのか。しかし「武道伝来記」と、この後に出版する「武家義理物語」の武家物2作品の評価は低い。駄作だという研究者もいるし、西鶴の書いたものではないという研究者もいるようだ。
 西鶴が武家物を書くにいたったのは、私はもっと積極的な理由からだと思う。処女作「好色一代男」が既成の社会への挑戦状であったのなら、この作品も裏返して見れば武家社会の風刺であり、瑣末な理由で人を殺し、そしてまた敵討に体面をかけざるを得ない武家社会の道理を超えた理屈は町人から見れば愚かな行為にも見える。西鶴は町人の視点で武家社会の理不尽を描こうとしたのではないか。現実(浮世)を描くことを信条にした西鶴にとって、ままならぬ武家の支配する浮世に憤りを感じていたはずだ。その支配者を否定すること(勿論、そういった直接的な記述はないが)に本書を利用したのではないか。だから、いたって冷静に淡々と書いているように感じる。その結果、物語そのものはやはりつまらない。(原文を読まず訳本を読んだだけで偉そうなことを言うなという声が聞こえてくる。このサイトは浮世絵のサイトであって文芸評論のサイトではないので勝手気侭なつぶやきにご容赦を)挿絵は吉田半兵衛が描いたようです。 


@心底を弾琵琶の海  形も情も同じ美童の事
A毒薬は箱入の命  人質は夢の内蔵の事
Bものもうどれという俄正月  最後はしれて女郎買の事
C内儀の利発は替た姿  せはしき中に預け物の事  

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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