浮世絵 源氏物語 
 
    

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寛文版源氏物語08 花宴(はなのえん)
 物語 全54帖  絵師: 作者:紫式部   出版:寛文年間(1661~1672) 版元: 

08花宴 源氏20歳

 いづれぞと 露のやどりを わかむまに 小笹が原に 風もこそ吹け

 如月(2月)の20日あまり、紫宸殿の南殿の庭で桜(左近の桜)の宴が催しされる。藤壺の后、弘徽殿女御の御座所を左右に設えてそれぞれ上られる。何時もなら藤壺の后を嫌う弘徽殿女御も、今日のような盛大な宴に無関心もできず参上した。
 親王をはじめその道の人々は順に探韻(たんいん)賜りて文(漢詩)を作る。源氏はここでも詩才を発揮する。※探韻=ここでは漢詩で韻を踏むために句の末に置く文字を庭の文台から自分で探り取ること。
 日の傾くころ、春宮は紅葉賀のときの「青海波」の舞の素晴らしかったことを思い出してか源氏に「春鴬囀」という舞を所望する。源氏は辞退しかねて、のどかに袖をひるがえす場面を申し訳程度に舞う。次いで頭中将にも舞うよう所望されて、頭中将は「柳花苑」という舞を丁重に舞う。頭中将はこんなこともあろうかと準備をしていたのか素晴らしい舞であった。帝はこれを誉めて御衣を賜る。
 夜、遅くなってようやく宴は終わった。藤壺の后も弘徽殿女御も帰ったが、閑散とした宴の後に月が明るくさし出て風情のある雰囲気に包まれる。源氏は酔い心地でこのまま退散する気になれず藤壺の部屋(飛香舎・ひきょうしゃ)のあたりを散策するが、入り込める隙もない。東隣の弘徽殿の人気のない細殿(ほそどの・廊)に立寄ると若い女と出会う。源氏は女を抱きよせると、女は啞然とするも相手が源氏と知って強く拒むこともなかった。
 夜が明け始めて、源氏は女の名を聞くが、女は「うき身世にやがて消えなば尋ねても草の原をば問はじとや思ふ(不幸な私がこのまま消えてしまったら、名前を知らぬからといって、あなたは草の原をかきわけてでも私を尋ねようとはしないのでしょうか)」と答える。源氏は「いづれぞと露のやどりをわかむまに小笹が原に風もこそ吹け(名前を知らないと露のようにはかないあなたの宿を捜している間に、風が吹いて露を吹き散らしてしまう)」と返すが、人々が起き出したようで人の気配がすることから、源氏は女と扇を取り替えて部屋を出た。
 桜の宴の翌日も小宴が催しされる。源氏は筝の琴を勤めるも、有明の女(扇を交換した女)の素性を知りたくて万事に抜かりのない良清(よしきよ・源氏の従者)や惟光に指図して調べさせる。良清は有明の女が退出する際に右大臣の子息二人が見送りをしていたことを源氏に伝える。
 3月の20日あまり、右大臣家で弓の試合があり、その後に藤の(花の)宴が催された。源氏も宮中で右大臣と対面した際に招待されていたが出向かなかった。その日宮中で帝の側にいた源氏に右大臣の子息で四位の少将が出迎えの使者として訪れる。帝は源氏に出向くことを勧める。源氏は日の暮れた時分に右大臣家を訪れて管絃の遊びなどを面白く楽しむ。夜が少し更ける頃になって、源氏はひどく酔って気分が悪いようにわざと見せかけ、そっと席を立って女房どもの居る寝殿の入口によりかかる。妻戸の御簾を引き上げて身を入れ「あづさ弓いるさの山にまどふかなほのみし月の影や見ゆると(あの時に見た月の姿を再び見ることができないかと、いるさの山を迷いながら歩いている)」と源氏が呼びかける。「心いる方ならませばゆみはりのつきなき空に迷はましやは(心にかけているのであれば、弓張の月もない空でも迷うことはないでしょう)」と、まぎれなく有明の女の声が返ってきた。・・いとうれしきものから・・・

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

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