作者は柳亭種彦(りゅうていたねひこ)。絵は歌川国貞。文政12年(1829)に初編が刊行され、38編が刊行されたのが天保13年(1842)。10年以上にわたって書かれた長編物語。38編以後も続編予定であったが、老中水野忠邦の天保の改革による処分で続編は刊行されなかった。(ただし、39,40編は草稿が残されていたため昭和になってから刊行された由)
物語は紫式部の源氏物語をベースに、時代を室町時代に設定し、将軍足利義政の側室の子である”光氏”を主人公として、将軍の地位を狙う山名宗全を光氏が光源氏の好色的な遍歴をまねて宗全一派を滅ぼすといったストーリー。当時の人気作家であった曲亭馬琴の書いた「金毘羅船利生纜」「傾城水滸伝」が中国の古典小説「西遊記」「水滸伝」を題材としているのに対抗し、柳亭種彦は日本の古典文学である源氏物語を題材にしたといわれている。ただし偽紫田舎源氏は単なる源氏物語の翻訳本ではなく作者の創意工夫が随所にみられる。現代の道徳観念からはかけ離れているが、当時の社会通念、道義観念に従い、とくに平易で上品な文章は一般庶民のみならず高位の人にも愛読されたといわれる。
しかしながら重農主義を旨として商業活動を規制し、奢侈を禁止し倹約を命じる水野の改革は好色風俗的な流行を忌み嫌い、歌舞伎3座を江戸郊外(浅草猿若町)へ移転させ、市川団十郎を江戸追放に処すなど厳しいものがあった。出版にも当然厳しい規制がなされた。寛政2年(1790)の寛政の改革時には浮世絵に一般女性の名前を記して描くことは禁止されたが、歌舞伎役者や遊女については規制されなかった。しかし天保13年の統制令ではそれらの人物を描くことも禁止され、絵草紙等の小説類についても登場人物を歌舞伎役者に似せて描くことを禁止し、また贅沢な風俗を描くことが禁止された。偽紫田舎源氏は主人公光氏の女性関係が将軍家斉の大奥生活を揶揄するものと噂されたこともあり絶版の処分を受け、作者の柳亭種彦は風俗を乱す罪で罰せられた。同時期、当時の人気作家であった為永春水も処分を受けている。柳亭種彦はこれによる処分がもと(推測)で天保13年に亡くなっている。死因については病死説、自殺説がある。
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