天明6年(1786)本所の材木問屋の家に生まれる。本名は角田庄五郎。15,6歳の頃に歌川豊国の門人となる。数多い豊国の門人の中でも抜きんでた才能を発揮し、大量の作品を出版。浮世絵師の中で最も多くの作品を発表し、その数は1万点を超えたといわれる。弘化1年(天保15年・1844)二代目豊国を名乗るが、文政8年(1825)豊国の養子であった歌川豊重が二代目を襲名しており、実際には三代目豊国である。
元治1年(1865)79歳で死去。生前は浮世絵師界の第一人者として絶対的な存在であったが、あまりにも多くの作品を手掛けたことが災いしてか、後世の評価はあまり芳しくないようだ。 |