柳亭種彦は天明3年(1783)本所で200俵取りの旗本の長男として生まれる。本名高屋彦四郎。病弱であったこともあり少年期から“文武”のうちの”文”に励み、漢籍に通じ、歌舞伎、浄瑠璃も好んだ。国学に師でもあった石川雅望(宿屋飯盛)から狂歌の手ほどきを受ける。文化3年(1806)に読本「阿波の鳴門」、洒落本「山嵐」を刊行。このころから烏亭焉馬、山東兄弟、北斎、国貞と交流するようになる。
文化12年(1815)に初編を刊行した「正本製」(しょうほんじたて)は歌舞伎の人気演目の翻訳を芝居の脚本(正本)風に綴ったシリーズで評判を得る。文政12年(1829)には大ベストセラーとなる「偐紫田舎源氏」の初編を出版。これは今でいうキャラクター商品が出回るほどの人気で38編まで続く。しかし天保13年(1842)に水野忠邦による天保の改革の禁令に触れたとして絶版の処分を受ける。種彦はこの処分のショックもあり同年に亡くなった。
柳亭種彦のペンネームは、”柳の風成”のちに”心の種俊”と改名した狂歌名に由来。柳の風と名乗ったのは、自身は結構短気な性格であったようで、これを戒めるために、風に吹かれる柳のような穏やかな心を持つことを自身に言い聞かせるためであったという。 |