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宮川長春
尾張国宮川村に生まれる。本姓は尾藤。生年ははっきりしないが亡くなったのは宝暦2年(1752)で享年71歳とする記録があり逆算して天和2年(1682)生まれと推定。通称は長左衛門、後に喜平次と改める。元禄(1688〜)の頃に江戸に出て土佐派の絵を学ぶ。ただし菱川師宣に私淑しかつ懐月堂の画風も倣い、その両者の画風を取り入れて独自の絵を習得する。木版画の作品はなくすべて肉筆画。美人画を多く描き、上品な画風は当時富裕層の間でもてはやされたという。長春には多くの門人がいたが、その中の春水は特に優秀で師の長春に劣らぬ力量があった。春水の弟子の春章は勝川春章を名乗り”勝川”派の祖となった。また春章の門人となった勝川春朗は後に葛飾北斎を名乗り”葛飾”派の祖となる。長春自身は浮世絵版画を手掛けてはいないが、門人を介してその後の浮世絵版画界に大きな影響力を与えた。 |