安政5年(1858)日米修好通商条約が締結され、次いでイギリス、フランス、オランダ、ロシアとも修好通商条約が締結される。これにより神奈川(横浜)長崎、新潟、兵庫(神戸)の開港が決まる。横浜は安政6年(1859)に開港された。開港に先立ち幕府は横浜への出店を奨励し、江戸の大商人や廻船問屋のほか、全国から一旗揚げようと目論む商人、また海外からも一獲千金を狙う外国人が集まり、横浜の町は急速に発展する。その模様は人口が多く大消費地の江戸の住人ばかりでなく日本全体の最大の関心事であった。横浜の様子を描いた浮世絵(錦絵)は情報伝達手段が限られていた時代に、こうした人々の欲求を満たす最大の媒体であったものと推測される。横浜を題材とした浮世絵(錦絵)は八百点以上あるとされ、その多くが万延元年(1860)及び文久元年(1861)の2年間に集中して出版されている。 |