浮世絵 武者絵・合戦記
    

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平家物語(へいけ ものがたり)
 戦記12巻+1  絵師: 作者:   出版:明暦2年(1656) 版元:

 平家物語の全文を読んでいなくとも”祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 娑羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす おごれる人も久しからず 唯春の夜の夢の如し・・・”の名調子で始まる前段部分は誰でも一度は目にしたのではないでしょうか。このフレーズは現代人にとっても充分に通用する言葉であり、勝者にとっては戒めの言葉であり、敗者にとっては慰めの言葉に感じる。物語の内容はタイトルのごとく平氏を主人公にした物語である。中世から現在に至るまで数多くの本が刊行され、そしてその解説書も多い。わずかの間に急激に中央政界に躍り出て絶大な権力を手にした平氏一族、そして階段を転げ落ちるように慌ただしく滅び去る、その哀れさが因果応報、盛者必衰の仏教思想と相まって日本人の心を深く捉えたのではと思います。
 物語の成立時期、その作者については諸説ある。何れも確定的なものはなく、結局のところ1200年代後半から1300年代前半には成立していたと推測され、その作者も単独ではなく複数の人によって変遷・展開していったものと思われ、したがって伝承された物語の内容も非常に多い。ここに掲載した平家物語は明暦2年(1656)に刊行されたもので、おそらく一般に最も多く流通した種類の平家物語と思われます。また、印刷本は江戸の初期にはすでに刊行されていますが、絵入(挿絵)本はこれが最初ではないかと思います。当時としては洗練された絵であり、またその数も結構多い。絵入本の挿絵が浮世絵、錦絵へと進化するする出発点、過程の一つとして見応えのある本だと思考します。
 

 巻 第一  祇園精舎 殿上闇打 鱸 禿髪 我身栄花 祇王 二代后 額打論
清水炎上 東宮立 殿下乗合 鹿谷 俊寛沙汰 鵜川軍 願立 御輿振
内裏炎上

 巻 第二  座主流 一行阿闍梨之沙汰 西光被斬 小教訓 少将乞請 教訓状 烽火之沙汰 大納言流罪 阿古屋之松 大納言死去 徳大寺厳島詣 山門滅亡 堂衆合戦 山門滅亡 善光寺炎上 康頼祝言 卒都婆流 蘇武

 巻 第三  赦文 足摺 御座 公卿揃 大塔建立 頼豪 少将都帰 有王 僧都死去 つじかぜ 医師問答 無文 燈炉之沙汰 金渡 法印問答 大臣流罪 行隆之沙汰 法皇被流 城南之離宮

 巻 第四  厳島御幸 還御 源氏揃 鼬之沙汰 信連 競 山門牒状 南都牒状
永瞼議 大衆揃 橋合戦 宮御最期 若宮出家 通乗之沙汰 ぬえ
三井寺炎上

 巻 第五  都遷 月見 物怪之沙汰 早馬 朝敵揃 咸陽宮 文覚荒行 勧進帳
文覚被流 福原院宣 富士川 五節之沙汰 都帰 奈良炎上

 巻 第六  新院崩御 紅葉 葵前 小督 廻文 飛脚到来 入道死去 築島 慈心房 祇園女御 しはがれ声 横田川原合戦

 巻 第七 清水冠者 北国下向 竹生島詣 火打合戦 願書 倶梨伽羅落 篠原合戦 実盛 玄肪 木曽山門牒状 返牒 平家山門連署 主上都落 維盛都落 聖主臨幸 忠度都落 青山之沙汰 一門都落 福原落

 巻 第八  山門御幸 名虎 緒環 大宰府落 征夷将軍院宣 猫間 水島合戦
瀬尾最期 室山 鼓判官 法住寺合戦

 巻 第九  生ずきの沙汰 宇治川先陣 川原合戦 木曽最期 樋口被討罰 六ヶ度軍 三草勢揃 老馬 一二之懸 二度の懸 坂落 越中前司最期 忠度最期 重衡最期 敦盛最期 知章最期 落足 小宰相身投

 巻 第十 首渡 内裏女房 八島院宣 請文 戒文 海道下 千手前 横笛 高野巻 維盛出家 熊野参詣 維盛入水 三日平氏 藤戸 大嘗会之沙汰

 巻 第十一  逆櫓 勝浦 大坂越 嗣信最期 那須与一 弓流 志度合戦 鶏合
壇浦合戦 遠矢 先帝身投 能登殿最期 内侍所都入  剣 一門大路渡 鏡 文之沙汰 副将被斬 腰越 大臣殿被斬 重衡被斬 

 巻 第十二  大地震 紺掻之沙汰 平大納言被流 土佐房被斬 判官都落 
吉田大納言沙汰 六代 泊瀬六代 六代被斬

 灌頂巻  女院出家 大原入 大原御幸 六道之沙汰 女院死去

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