日本橋界隈には日本を代表する大商人が競って出店していた。その多くは伊勢、近江を出身地とした商人で、最も有名な商人は「現金掛け値なし」の商法で大繁盛した越後屋呉服店の三井高利。当時は節季払いといって購入代金を年に二度か三度とかにまとめて支払う商習慣であったが、これを現金払いにし、その分商品を安く売った。今でいう薄利多売の商いを実行していた。また三井は京大坂にも店を構え、そこで商品を仕入れて江戸で販売する方式をとっていた。産地で良品を大量に仕入れて江戸で大量に安く売るシステムを江戸時代に既に構築していた。江戸にしか店のない商人は太刀打ちできず衰退するしかない。大丸とか松坂屋といった伊勢、近江出身の商人も三井と同様の商法で大消費地の江戸でしっかりとした基盤を造り上げていった。日本橋通りや本町通りはこうした商人の店舗が軒を連ね、またこの地に出店することが商人にとっては憧れの的であったようだ。
三井はそれまでの呉服商が行っていた大きな風呂敷に商品を包んでお得意先を訪問する売り方を改め、店売りに徹した商いをした。その為に「引札(ひきふだ)」という今でいう宣伝用チラシを配ったり、浮世絵に店舗を描かせるなどの広告に力を入れていたようです。 |