西沢一風は寛文5年(1665)に大阪の書肆・正本屋太兵衛の子として生まれる。名を義教(よしのり)、通称は九左衛門といった。元禄11年(1698)ごろに家業を継ぎ、同時に自身の浮世草子の処女作となる「新色五巻書」を刊行する。この草子は西鶴の好色5人女に倣った愛欲に絡んだ五人の女性の異常事件を取り上げたものだが、あくどく猥雑で評判はいま一つのようだった。元禄13年(1700)に刊行した次作の「御前義経記」は義経記の当世化(やつし)を目論み、義経の伝説、謡曲、古浄瑠璃などを織り込み、且つ、当時流行の芸能事を加えて人気を得る。この作の成功により西鶴没後の浮世草子作者の第一人者としての評判をを得た。
宝永年間(1704〜1710)になり一風と同じく浮世草子作者の第一人者として評価されていた江島其磧(えじまきせき)と張り合う形で一風は精力的に戯作活動を行ったが、浮世草子出版の主導権は其磧を抱える書肆・八文字屋の勝利となる。これ以後一風は浮世草子作者としての第一線から離れることになる。この後は豊竹座の浄瑠璃作者として活躍する。
享保16年(1731)に没する。 |