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浮世草子 8巻 |
絵師:井原西鶴 |
作者:井原西鶴 |
出版:天和2年(1682) |
版元:秋田屋市兵衛 |
好色一代男は天和2年(1682)西鶴が初めて発表した小説。西鶴41歳のときの処女作である。「桜もちるに嘆き、月はかぎりありて入佐山、ここに但馬の国かねほる里の辺に、浮世の事を外になして、色道ふたつに寝ても覚めても夢介と替名よばれて、・・・」の書き出しは、西鶴がそれまで20年余り過ごした俳諧の世界の影響が色濃く出ている。主人公”世之介”の7歳から60歳までの生涯を54章で構成し、これは源氏物語の54帖に倣ったものとされる。
物語の内容は7歳で腰元を口説いたのを手始めに60歳までに戯れた素人・玄人の女の数が3,700人以上、男色で戯れた若衆の数が700人以上と、想像を絶する放蕩を尽す一代男の物語だが、しきたりや身分制度の厳しい封建社会においてタブーを打ち破った画期的な作品と評価されている。ちょうど商業活動の全盛期を迎え、力を増した新興の町人が、道徳的にも法の規制からも抑圧された時代に、そのうっ憤を晴らすのに、また現実離れした滑稽な読み物として受け入れた。
勿論、好色物語ではあるが単なる性欲の発散ストーリーではない。物語の底に流れるのは粋であり美意識である(私は刊本の原文を読むことができず、もっぱら訳本を読んでの知識だが、)。しきたりや因習にがんじがらめの社会への西鶴の挑戦状ともいえる。この本が浮世草子の祖といわれるのはそれなりの理由があってのことと思う。
最初に好色一代男を出版したのは荒砥屋孫兵衛というその時限りの素人版元であった。サイトに掲載した国立国会図書館の蔵書本(デジタル化資料)はその板木を使用して出版元の名前を秋田屋市兵衛にを変えたものです。従って刊記は天和2年(1682)のままですが、おそらく印刷されたのはそれ以降のことと思われます。板下は西鶴門人の”西吟”の筆。挿絵は西鶴自身が描いたとされています。
最初に素人の版元を出版元に選んだのは、私が読んだ解説書によると、西鶴がこの小説を出版することに多少のためらいがあったからだという。門人の西吟が跋文を書いているが、その中で「月にはきかしても余所(よそ)には漏れぬむかしの文枕(ふまくら)=おのれ一人の慰みとして書いたもので、発表する気はさらさらない」ものを私(西吟)が写し取って(出版することにしたものである)と書いているが、これは西鶴が西吟に書かせ、出版の責任を西吟に押し付けたものだという。ためらいの理由は俳諧の宗家である西山宗因の跡目を西鶴が狙っていたからだという。破天荒な物語を西鶴が出版したとが跡目相続に不利になることを恐れてのことのようだ。しかしそれが叶わなかったこともあり、以後、俳諧の世界から身を遠ざけ、作家として邁進することになった。
なお、この書の出版は非常に短期間に、急いで出版作業をしたようで、ストーリーにつじつまの合わない部分があったり、目録の年令を間違えたまま訂正することなく出版している。急いだ理由は物語の最後、世之介が仲間六人を誘い”好色丸”と名付けた舟に乗り女護の島を目指し難波江の小島から出航するが、「天和2年神無月の末に行方しれずになりにける」に出版日を合わせるためであったという。 |
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7歳 けした所が恋はじめ 腰元に心ある事 |
8歳 はづかしながら文言葉 おもひは山崎の事 |
9歳 人には見せぬ所 行水よりぬれの事 |
10歳 袖の時雨は懸かるが幸ひ |
11歳 尋ねてきく程ちぎり 伏見撞木町の事 |
12歳 煩悩の垢かき 兵庫風呂屋者の事 |
13歳 別れは当座ばらひ 八坂茶屋者の事 |
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