相撲の始まりについては諸説あるものの、一般に知られている説は垂仁天皇7年(紀元前23)に野見宿祢(のみのすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや)との一戦とされる。もっとも垂仁天皇は神武天皇から数えて11代目の天皇で、いわゆる上古天皇であり史実かどうかはわからない。相撲は神事と結びついて継承されるが中世には武道として武士の鍛錬に奨励される。元々の相撲は突く、殴る、蹴るの三手が中心で、空手や柔道の技も含んでいたという(空手や柔道が相撲から別れたというべきか?)。
江戸時代には一般大衆を対象とした相撲興行が行われるようになり、職業力士も出現する。当初はプロ力士と素人の飛び入り相撲も行われていたようで、また、勝負の行方でたびたび刃傷沙汰に発展することもあったようだ。このため何度も幕府の禁令が出されている。しかし強いものを見たい、あるいは強いものになりたいという願望はこうした禁令に怯むことなく、相撲興行は神社の資金集め(勧進相撲)として定着してゆく。江戸時代、相撲は数少ない娯楽の一つとして人気を集め、浮世絵の題材としても数多く取り上げられている。 |