忠臣蔵は元禄15年(1702)12月に起きた赤穂浪士による吉良邸討ち入り事件をクライマックスとする物語である。その内容は団塊世代と呼ばれる私くらいの年代の者なら誰でも知っているほど有名である。ただし事件そのものは史実であるが、江戸時代に書かれた戯作などは赤穂浪士の側の視点で多分に脚色されている部分があると思う。また、忠臣蔵で賛美される「義」に基づく行為や武士道の発露といった側面も、果たしてその通り受け取ってよいものなのか疑問もある。物語や小説を真実の歴史として受け取り、そして語られることは多く、忠臣蔵はその最たるものの一つといえるのではないか。しかしながら忠臣蔵が江戸時代から今日まで忘れ去れることなく舞台や映画に登場するのは、武士の”意地”を貫き通したということの他に”自己犠牲による目的遂行”という日本人の心の奥底に強く響く普遍的なテーマを取り上げていることによるのではと思う。
情報伝達手段が未発達の江戸時代に、吉良邸討ち入りの話題は江戸の市中に忽ちに広がったという。討ち入り事件の翌元禄16年(1703)には江戸山村座が「傾城阿佐間曽我」の大詰(五段目)で曽我兄弟の仇討ちに赤穂浪士の討ち入りの趣向を取り入れている。宝永3年(1706)には近松門左衛門が人形浄瑠璃「碁盤太平記」で赤穂浪士を題材として取り上げ、寛延元年(1748)に二代目竹田出雲ほかが書いた人形浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」が上演され、これはすぐさま歌舞伎の演目としても取り入れられた。これらは全て大好評を得たという。浮世絵や絵本の類にも忠臣蔵を題材とて数多くの作品が出版された。そのほとんどは赤穂浪士を”義士”として讃えている。このページでは国立国会図書館に所蔵されている忠臣蔵に関する作品の内、絵付本と浮世絵を集めてみました。 |