浮世絵 近松門左衛門

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 近松門左衛門 (ちかまつ もんざえもん) 

 近松門左衛門が活躍した時代は、ちょうど京都の公家文化・伝統的文化が大坂の町人文化と融合した時期に当たる。元禄時代をピークとして貞享から享保初期に至る期間は江戸時代を通して新しい文化がもっとも興隆した時期で、浮世草子の井原西鶴、俳諧の松尾芭蕉もこの時期に活躍した。この時期に起こった文化は江戸後期、あるいは現代まで引き継がれ、技術的な完成度は増すが、この時代の爆発的な創造のエネルギーは徐々に薄れていったと思う。
 掲載した本には、近松の代表作とされる「曽根崎心中」「心中天の網島」「国性爺合戦」などの絵入本は残念ながら国立国会図書館のデジタル化資料の中では見つけることができなかったが、この時代の雰囲気に多少なりとも浸かることはできるのではと思います。 


 阿弥陀池新寺町 
 作:近松門左衛門
 絵:
 元禄12年(1699)  版元 八文字屋八左衛門 
 絵入狂言本 都座

 御曹司初寅詣 
 作:近松門左衛門
 絵:
 元禄14年(1701)  版元 八文字屋八左衛門  
 絵入狂言本 都座

 けいせい富士見里 
 作:近松門左衛門
 絵:
 元禄14年(1701)  版元 八文字屋八左衛門  
 絵入狂言本 都座

 天鼓
 作:近松門左衛門 
 絵:
 元禄14年(1701) 版元 
 絵入狂言本 竹本座

 けいせい壬生大念仏 
 作:近松門左衛門
 絵:
 元禄15年(1702)  版元 八文字屋八左衛門 
 絵入狂言本 都座

 傾城三の車 
 作:近松門左衛門
 絵:
 元禄16年(1703)  版元 八文字屋八左衛門 
 絵入狂言本 早雲座

 からさき八景屏風 
 作:近松門左衛門
 絵:
 元禄16年(1703)  版元 八文字屋八左衛門  
 絵入狂言本 早雲座

 曽我扇八景
 絵:
 作:近松門左衛門
 出版年:宝永3年(1706)  版元:正本屋九兵衛 

 天智天皇
 作:近松門左衛門
 絵:
 正徳2年(1712)  版元:井筒屋     
 絵入浄瑠璃本 竹本座

 津国女夫池
 作:近松門左衛門
 絵:
 享保6年(1721)  版元 八文字屋八左衛門  
 絵入狂言本 竹本座

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 近松門左衛門 年譜  座名は上演場所。外題は全て近松作
 承応 2年(1652)  越前藩士杉森市左衛門信義の次男として生まれる。父・信義は小姓役で300石取。 
 寛文 4年(1664)  この頃、父が浪人して京都へ移住。 
 天和 3年(1683)  宇治座(加賀掾)・浄瑠璃「世継曽我」 これ以前にも加賀掾のために書いたと思われるが確証がない
 貞享 2年(1685)  竹本座(義太夫)・浄瑠璃「出世影清」 
 貞享 3年(1686)  竹本座・浄瑠璃「佐々木大鑑」
この時刊行された浄瑠璃本に”作者近松門左衛門”と署名。当時は浄瑠璃本・狂言本に作者が署名することはなく、世間の非難を受けたが「芝居事で朽ち果てる覚悟」と宣言し、以後署名を続けた。 
 貞享 4年(1687)  竹本座・浄瑠璃「今川了俊」 
 元禄 2年(1689)  竹本座・浄瑠璃「天智天皇」
 元禄 4年(1691)   竹本座・浄瑠璃 「大磯虎稚物語」・浄瑠璃「蝉丸」 
 元禄 6年(1693)  都座・歌舞伎「仏母摩耶山開帳」初めて書いた(と思われる)歌舞伎狂言で坂田藤十郎主演。 
 元禄 8年(1695)  早雲座・歌舞伎「今源氏六十帖」・「傾城阿波の鳴門」・「曽我太夫染」
都座・歌舞伎「姫蔵大黒柱」 
 元禄10年(1697)  都座・歌舞伎「百夜小町」・歌舞伎「夕霧七年忌」・歌舞伎「大名なぐさみ曽我」 
 元禄11年(1698)  都座・歌舞伎「上京の謡始」・歌舞伎「けいせい江戸桜」・歌舞伎「一心二河白道」
竹本座・浄瑠璃「当流小栗判官」 
 元禄12年(1699)   都座・歌舞伎「傾城仏の原」・歌舞伎「龍女ケ淵」・歌舞伎「阿弥陀池新寺町」・歌舞伎「福寿海」 
宇治座・浄瑠璃「最明寺殿百人上郎」
竹本座・浄瑠璃「曽我五人兄弟」
 元禄13年(1700)  都座・歌舞伎「けいせい弘誓船」
宇治座・浄瑠璃「団扇曽我」
竹本座・浄瑠璃「百日曽我」 
 元禄14年(1701)  都座・歌舞伎「御曹司初寅詣」・歌舞伎「傾城富士見里」・歌舞伎「唐猫変成男子」・歌舞伎「新小町栄花車」
竹本座・浄瑠璃「賀古教信七墓廻り」・浄瑠璃「文武五人男」・浄瑠璃「十二段長生島台」・浄瑠璃「天鼓」・浄瑠璃「日本西王母」 
 元禄15年(1702)  都座・歌舞伎「傾城壬生大念仏」・歌舞伎「女郎来迎柱」・歌舞伎「壬生秋の念仏」 
 元禄16年(1703)  早雲座・歌舞伎「傾城三の車」・歌舞伎「白蛇の峠」・歌舞伎「唐崎八景屏風」 
竹本座・浄瑠璃「曽根崎心中」(近松最初の世話物浄瑠璃)
 宝永 1年(1704)  竹本座・浄瑠璃「薩摩歌」
都座・歌舞伎「吉祥天女安産玉」 
 宝永 2年(1705)  都座・歌舞伎「傾城金龍橋」(近松の歌舞伎作品としては最後のもの) 
竹本座・浄瑠璃「雪女五枚羽子板」・浄瑠璃「用明天皇職人鑑」この年、竹本座の座本が竹田出雲となり、、近松は専属の座付き作者となる。
 宝永 3年(1706)  竹本座・浄瑠璃「源義経将棋経」「本領曽我」「心中二枚絵草紙」「兼好法師物見車」「卯月の紅葉」「曽我扇八景」「「堀川浪鼓」「五十年忌歌念仏」「酒呑童子枕言葉」「心中重井筒」 
 宝永 5年(1708)  竹本座・浄瑠璃「心中万年草」「丹波与作」「傾城反魂香」「淀鯉出世滝徳」「心中刃は氷の朔月」 
 宝永 7年(1710)  竹本座・浄瑠璃「曽我虎が麿」「須磨寺青葉笛」「百合若大臣守鏡」「孕常盤」「源氏冷泉節」「吉野都女楠」「浦島年代記」 
 正徳 1年(1711)  竹本座・浄瑠璃「新いろは物語」「冥途の飛脚」「今宮の心中」「鸚鵡ケ杣」「大職冠」
 正徳 2年(1712) 竹本座・浄瑠璃「夕霧阿波鳴門」「傾城懸物語」長町女切腹」「傾城吉岡染」  
 正徳 3年(1713)  竹本座・浄瑠璃「天神記」「二人静胎内さぐり」「釈迦如来誕生会」 
 正徳 4年(1714)  竹本座・浄瑠璃「相模入道千疋犬」「かおる歌かるた」「嵯峨天皇甘露雨」 
 正徳 5年(1715)  竹本座・浄瑠璃「大経師昔暦」「生玉心中」「国性爺合戦」 国性爺合戦は3年越し17カ月のロングラン上演となる。
 享保 2年(1717)  竹本座・浄瑠璃「国性爺後日合戦」「鑓の権三重帷子」「聖徳太子絵伝記」 
 享保 3年(1718)  竹本座・浄瑠璃「山崎与次兵衛寿の門松」「日本振袖始」「曽我会稽山」「博多小女郎浪枕」「善光寺御堂供養」 
 享保 4年(1719)  竹本座・浄瑠璃「本朝三国志」「平家女護島」「傾城島原蛙合戦」「傾城酒天童子」 
 享保 5年(1720)  竹本座・浄瑠璃「井筒業平平河内通」「隅田川」「心中天の網島」
 享保 6年(1721)  竹本座・浄瑠璃「津国女夫池」「女殺油地獄」「信州川中島合戦」
 享保 7年(1722)  竹本座・浄瑠璃「唐船噺今国性爺」 この頃より健康を害する。 
 享保 8年(1723)  竹本座・浄瑠璃「大塔宮あさひの鎧」竹田出雲・松田和吉作を近松が添削。この年、幕府は心中物の狂言・出版を禁じる。 
 享保 9年(1724)  この年11月22日没する。72歳。 

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