近松門左衛門 年譜 座名は上演場所。外題は全て近松作 |
承応 2年(1652) |
越前藩士杉森市左衛門信義の次男として生まれる。父・信義は小姓役で300石取。 |
寛文 4年(1664) |
この頃、父が浪人して京都へ移住。 |
天和 3年(1683) |
宇治座(加賀掾)・浄瑠璃「世継曽我」 これ以前にも加賀掾のために書いたと思われるが確証がない |
貞享 2年(1685) |
竹本座(義太夫)・浄瑠璃「出世影清」 |
貞享 3年(1686) |
竹本座・浄瑠璃「佐々木大鑑」
この時刊行された浄瑠璃本に”作者近松門左衛門”と署名。当時は浄瑠璃本・狂言本に作者が署名することはなく、世間の非難を受けたが「芝居事で朽ち果てる覚悟」と宣言し、以後署名を続けた。 |
貞享 4年(1687) |
竹本座・浄瑠璃「今川了俊」 |
元禄 2年(1689) |
竹本座・浄瑠璃「天智天皇」 |
元禄 4年(1691) |
竹本座・浄瑠璃 「大磯虎稚物語」・浄瑠璃「蝉丸」 |
元禄 6年(1693) |
都座・歌舞伎「仏母摩耶山開帳」初めて書いた(と思われる)歌舞伎狂言で坂田藤十郎主演。 |
元禄 8年(1695) |
早雲座・歌舞伎「今源氏六十帖」・「傾城阿波の鳴門」・「曽我太夫染」
都座・歌舞伎「姫蔵大黒柱」 |
元禄10年(1697) |
都座・歌舞伎「百夜小町」・歌舞伎「夕霧七年忌」・歌舞伎「大名なぐさみ曽我」 |
元禄11年(1698) |
都座・歌舞伎「上京の謡始」・歌舞伎「けいせい江戸桜」・歌舞伎「一心二河白道」
竹本座・浄瑠璃「当流小栗判官」 |
元禄12年(1699) |
都座・歌舞伎「傾城仏の原」・歌舞伎「龍女ケ淵」・歌舞伎「阿弥陀池新寺町」・歌舞伎「福寿海」
宇治座・浄瑠璃「最明寺殿百人上郎」
竹本座・浄瑠璃「曽我五人兄弟」 |
元禄13年(1700) |
都座・歌舞伎「けいせい弘誓船」
宇治座・浄瑠璃「団扇曽我」
竹本座・浄瑠璃「百日曽我」 |
元禄14年(1701) |
都座・歌舞伎「御曹司初寅詣」・歌舞伎「傾城富士見里」・歌舞伎「唐猫変成男子」・歌舞伎「新小町栄花車」
竹本座・浄瑠璃「賀古教信七墓廻り」・浄瑠璃「文武五人男」・浄瑠璃「十二段長生島台」・浄瑠璃「天鼓」・浄瑠璃「日本西王母」 |
元禄15年(1702) |
都座・歌舞伎「傾城壬生大念仏」・歌舞伎「女郎来迎柱」・歌舞伎「壬生秋の念仏」 |
元禄16年(1703) |
早雲座・歌舞伎「傾城三の車」・歌舞伎「白蛇の峠」・歌舞伎「唐崎八景屏風」
竹本座・浄瑠璃「曽根崎心中」(近松最初の世話物浄瑠璃) |
宝永 1年(1704) |
竹本座・浄瑠璃「薩摩歌」
都座・歌舞伎「吉祥天女安産玉」 |
宝永 2年(1705) |
都座・歌舞伎「傾城金龍橋」(近松の歌舞伎作品としては最後のもの)
竹本座・浄瑠璃「雪女五枚羽子板」・浄瑠璃「用明天皇職人鑑」この年、竹本座の座本が竹田出雲となり、、近松は専属の座付き作者となる。 |
宝永 3年(1706) |
竹本座・浄瑠璃「源義経将棋経」「本領曽我」「心中二枚絵草紙」「兼好法師物見車」「卯月の紅葉」「曽我扇八景」「「堀川浪鼓」「五十年忌歌念仏」「酒呑童子枕言葉」「心中重井筒」 |
宝永 5年(1708) |
竹本座・浄瑠璃「心中万年草」「丹波与作」「傾城反魂香」「淀鯉出世滝徳」「心中刃は氷の朔月」 |
宝永 7年(1710) |
竹本座・浄瑠璃「曽我虎が麿」「須磨寺青葉笛」「百合若大臣守鏡」「孕常盤」「源氏冷泉節」「吉野都女楠」「浦島年代記」 |
正徳 1年(1711) |
竹本座・浄瑠璃「新いろは物語」「冥途の飛脚」「今宮の心中」「鸚鵡ケ杣」「大職冠」 |
正徳 2年(1712) |
竹本座・浄瑠璃「夕霧阿波鳴門」「傾城懸物語」長町女切腹」「傾城吉岡染」 |
正徳 3年(1713) |
竹本座・浄瑠璃「天神記」「二人静胎内さぐり」「釈迦如来誕生会」 |
正徳 4年(1714) |
竹本座・浄瑠璃「相模入道千疋犬」「かおる歌かるた」「嵯峨天皇甘露雨」 |
正徳 5年(1715) |
竹本座・浄瑠璃「大経師昔暦」「生玉心中」「国性爺合戦」 国性爺合戦は3年越し17カ月のロングラン上演となる。 |
享保 2年(1717) |
竹本座・浄瑠璃「国性爺後日合戦」「鑓の権三重帷子」「聖徳太子絵伝記」 |
享保 3年(1718) |
竹本座・浄瑠璃「山崎与次兵衛寿の門松」「日本振袖始」「曽我会稽山」「博多小女郎浪枕」「善光寺御堂供養」 |
享保 4年(1719) |
竹本座・浄瑠璃「本朝三国志」「平家女護島」「傾城島原蛙合戦」「傾城酒天童子」 |
享保 5年(1720) |
竹本座・浄瑠璃「井筒業平平河内通」「隅田川」「心中天の網島」 |
享保 6年(1721) |
竹本座・浄瑠璃「津国女夫池」「女殺油地獄」「信州川中島合戦」 |
享保 7年(1722) |
竹本座・浄瑠璃「唐船噺今国性爺」 この頃より健康を害する。 |
享保 8年(1723) |
竹本座・浄瑠璃「大塔宮あさひの鎧」竹田出雲・松田和吉作を近松が添削。この年、幕府は心中物の狂言・出版を禁じる。 |
享保 9年(1724) |
この年11月22日没する。72歳。 |