芝全交は寛永3年(1750)江戸の商家に生れる。後に水戸藩の大蔵流狂言師山本藤七の養子となり、山本藤十郎と名乗った。狂言師を業とする傍ら、黄表紙などの戯作者としても活躍。芝西久保神谷町に住んでいたことから戯作名を芝全交としたようだ。他に司馬全交、司馬交とも名乗った。
遊里や芝居に通じ、多芸多才な通人として知られ、安政9年(1780)に処女作である黄表紙「時花兮鶸茶曽我(はやりやすひわちゃそが)」を出版。以後40タイトル以上の黄表紙を刊行する。江戸庶民の日常生活を題材として、陽気で軽妙さと滑稽味に富んだ作風で、ときに奇抜な表現・発想を加えた。武家出身の恋川春町、朋誠堂喜三二の後を継ぐ町人出身の代表的戯作者の一人。寛政5年(1793)没する。 |