宝暦11年(1761)江戸深川で生まれる。本名は岩瀬醒(いわせさむる)。通称は伝蔵。生家は木場で質屋を営んでいたという。安永4年(1775)北尾重政に浮世絵を学び安永7年(1778)18歳で浮世絵師としてデビュー。北尾政演と号した。 20歳ころから黄表紙を書き始め、自ら挿絵を描くなどして評判を得る。山東京伝の名の由来は江戸紅葉山の東に住む京屋(または住所地の京橋)の伝蔵から。
寛政3年(1791)遊郭内部を描いた洒落本の挿絵が風俗を乱すとの理由で処罰を受け、京伝は手鎖50日の刑を受ける。この後、京橋の南(現在の銀座1丁目あたり)に紙製煙草入れの店を開き、京伝自らがデザインした煙草入れは大流行したという。同時に戯作活動も続けて多くの絵草紙を刊行した。木場で生れて粋で気性の激しい鳶の風俗を身につけ、銀座で多感な青春時代を送り、吉原の遊女を娶った生粋の江戸っ子。文化13年(1816)胸の発作を起こし56歳でこの世を去る。生涯で黄表紙217(うち他者作品で政演が挿絵を描いたもの48)、洒落本29、滑稽本13、読本26、合巻物86、その他雑書35を著したという。戯作者の山東京山は実弟。 |