浮世絵 歌川国虎
   
 
    

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歌川国虎(うたがわ くにとら)

 国虎は初代豊国門人であるが経歴などよく分かっていない。生年、没年も不詳。安政の始めに60歳ほどで亡くなったと伝えられているので、仮に安政元年(1854)に60歳で死亡したとすると生年は寛政5年(1794)頃か。これも推定だが豊国の門弟になったのが16歳ころと想定すれば文化7年(1810)ころ。
 国虎は師の豊国の晩年は内弟子のような扱いで、画才は人並み以上であるが釣や碁に興味を持って作画には熱心ではなかったという。とはいえ絵を描かせてみると常に師を満足させる出来栄えを見せていた。伝えられる話では豊国晩年の作のいくつかは国虎が代筆したものらしい。
 初代豊国は文政8年(1825)に死去。国虎は生活費が不足すると今度は本所の国貞の工房(?)に出入りして国貞の代筆をして生活費を稼いでいたという。これは文政の時代から嘉永の時代まで続いていた。代筆の内容も全てから補助的なものなどいろいろあったようだ。自身の名で作品を刊行したのがあまり残っていないのは代筆で生活費を得られればそれで良しとしていたからなのか。国虎は生涯独身で住まいも持っていなかった。
 合巻など絵草紙は言うに及ばず一枚絵の浮世絵も絵師一人で完結す作品ではない。絵師、彫師、摺師、製本と作業を分担して完成するもの。この作業の流れの中で絵師は画工として職人集団の一員と位置づけられることもある。全く根拠のない推測でしかないが、腕の良い職人(絵師)であっても版元の指図を嫌ったり時間を制限されること嫌う自由気ままな職人がいるのは昔も今も普通のこと。大工職や料理人の世界のように浮世絵の世界でも職場を転々とする腕の良い渡り職人(渡り絵師)がいても不思議ではない。これが国虎の生き様であったのだろう。また師弟間の代筆は浮世絵界の深い闇ではなく、半ば公然の秘密として受け入れられていたと推測。

 小女郎手昔編笠
 絵:歌川国虎
 作:墨川亭雪麿
 出版年:文政12年(1829)  版元:山本平吉
 合巻 6冊 

 国姓爺合戦
 絵:歌川国虎
 作:墨川亭雪麿
 出版年:天保5年(1834)  版元:山本平吉
 合巻 6冊 

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