浮世絵 歌川豊重・二代目豊国 
   
 
    

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歌川豊重(うたがわ とよしげ) 二代目・歌川豊国

 歌川豊重(うたがわとよしげ)は歌川派の名跡である二代目豊国を承継した浮世絵師であるが、その生い立ちや二代目豊国を継いだ経緯、そしてそれを返号した経緯など不明な点が多い。生年も没年も確かな資料はない。このサイトの掲載作品は全て国立国会図書館デジタルコレクションを利用しているが、その書誌情報では二代目豊国の生年は安永6年(1777)、没年は天保6年(1835)となっている。おそらくこれは「浮世絵類考」などが没年を天保六年、享年59歳としていることから生年を逆算したものと思われる。しかしこれでは豊重が初代豊国の養子となったとされる文政6年(1823)ごろの豊重の年齢は46歳。この時の初代豊国は54歳。養子にする年齢としてはちょっと不自然。しかも豊重がこの年齢に達していたとしても歌川派の中で豊重の存在が見られない。これも確かな資料に基づくものではないが生年を享和2年(1802)、没年を天保6年とする解説書がある。これだと養子となった年齢は21歳頃で不自然ではない。
 このサイトに掲載した文化14年(1817)刊・合巻「福徳三助妬心話」は豊国門人喜舞改め国重の名で挿絵が描かれている。豊重は養子になった時に改名したものでそれまでは国重(くにしげ)といったという説に従い、且つ”喜舞改め国重”が豊重の改名前の国重と同一人物と仮定すればえば、国重が享和2年生まれだとすると15歳の時。はたしてこの年齢で合巻の挿絵を描くことができたか疑問もあるが初代が養子にするほどの才能があった(?)ともいえる。またこのサイトに掲載した歌川豊重画・文政8年(1825)刊「女風俗吾妻鑑」の巻末に作者(口述)の市川三升とその代筆者五柳亭徳升、そして豊国門人豊重と記された三人の裃姿の図がある。文化14年(1817)刊・合巻「福徳三助妬心話」で豊国門人国重とあったが8年後の出版に改めて”豊国門人”と記入する必要があるのかといった疑問がある。このことから国重と豊重が同一人物であることを否定し豊重の処女作は「女風俗吾妻鑑」という説もあるようだ。
 年齢問題や国重=豊重の疑問は尽きないが、手持ちの僅かな資料でこれ以上詮索しても意味はない。いずれにせよ養子となった豊重が文政8年(1825)豊国の死去によって2代目豊国を襲名したのは確かなこと。もっとも豊国を襲名した経緯については江戸時代から様々な伝承がある。 また養子となった経緯も、豊国との血縁説、豊国の娘(娘は隠し子であったという説、あるいは豊国の妾という説さえある)との婚姻説、豊国死後にその妻(当時32歳)に入夫したという説などが江戸時代から伝わっていた。こうしたマイナスイメージを伴う伝承があるのも豊重が初代豊国の門人の中で最も技量に優れた門人ではなかったと、当時の浮世絵界ではあまり良くは評価されていなかったのが理由のようだ。初代豊国の門人には「国貞」「国安」「国直」「国丸」「国芳」など豊重の技量を凌ぐそうそうたるメンバーが存在し、それら先輩の門人を押しのけて若輩者(襲名時は24歳頃か)が2代目豊国を襲名したことに一門ばかりでなく各方面からの疑問があったことが推測される。天保6年に2代豊国が死去し(死んだのではなく周囲の圧力に抗しきれず豊国の号を返上して浮世絵師を引退したとの説もある。現在ではこの説が主流のようだ)、弘化元年(1844)に国貞が”国貞改め2代豊国”と署名し豊国を襲名したのも一門の中に豊重(2代豊国)を認めていない無視する空気があったものと思われる。(それにしても不可解なのは絵師二代豊国で天保4年刊「鏡山故郷の錦絵」の表紙の絵を国貞が描いていること。これも二代豊国に対する圧力なのか?)
 しかしながらこのサイトに掲載した文政9年(1826)に西村屋与八から出版された「笹色猪口暦手」の序文の附言に”この冊子文政甲甲(文政7年・1824)冬10月前編三冊草稿なりて画ける者故豊国なり 乙酉(文政8年・1825)秋9月後編の稿を脱して今の豊国が筆に継ぐ”と記されている。版元の西村屋与八は当時の江戸の出版界では大手であり、豊重が2代目豊国を襲名したことを認めている。また絵が特段に劣っているとも思えない(素人の私の判断だが)。初代豊国の晩年には豊重が代筆した作品も多々あるともいわれる。

 名勝八景
 絵:二代歌川豊国 
 出版年:天保年間(1830~)  版元:伊勢屋利兵衛
 江戸近郊の名所絵 

 画稿  
 絵:二代歌川豊国 
 団扇のデザイン画。二代豊国の肉筆。 


 福徳三助妬心話
 絵:歌川国重(豊国門人)
 作:古今亭三鳥
 出版年:文化14年(1817)  版元:西宮新六
 合巻 2冊 

 女風俗吾妻鑑  
 絵:歌川豊重
 作:市川三升
 出版年:文政8年(1825)  版元:文芳堂 
 合巻 6冊

 笹色猪口暦手
 絵:歌川豊国 二代歌川豊国
 作:柳亭種彦 
 出版年 文政9年(1826)  版元 西村屋与八
 合巻 6冊
 前編3冊の挿絵は初代の豊国。後編3冊は二代豊国が描く。 

 尾上松緑百物語
 絵:二代歌川豊国
 作:尾上梅幸 
 出版年:文政9年(1826)  版元:仙鶴屋喜右衛門
 合巻 6冊 

 勧善辻談義
 絵:二代歌川豊国
 作:関亭伝笑 
 出版年:文政9年(1826)  版元:森屋治兵衛
 合巻 6冊 

 誂織八丈縮緬
 絵:二代歌川豊国
 作:山東京山
 出版年:文政10年(1827)  版元:森屋治兵衛
 合巻 6冊 

 想合対菅笠
 絵:二代歌川豊国
 作:尾上梅幸
 出版年:文政10年(1827)  版元:山本平吉
 合巻 6冊 

 扇富士曽我物語
 絵:二代歌川豊国
 作:市川三升
 出版年:文政11年(1828)  版元:岩戸屋喜三郎
 合巻 6冊

 逢見茶娵入小袖
 絵:二代歌川豊国
 作:墨川亭雪麿
 出版年:文政11年(1828)  版元:山本平吉
 合巻 6冊 

 千葉模様好の新形
 絵:二代歌川豊国
 作:東里山人
 出版年:文政11年(1828)  版元:岩戸屋喜三郎
 合巻 6冊 

 花紅葉芳野竜田
 絵:二代歌川豊国
 作:式亭虎之助
 出版年:文政12年(1829)  版元:岩戸屋喜三郎
 合巻 6冊 

 天下茶屋敵討
 絵:二代歌川豊国
 作:十返舎一九 
 出版年:天保2年(1831)  版元:岩戸屋喜三郎 
 合巻 4冊

 春狂言善悪鏡
 絵:二代歌川豊国
 作:二代恋川春町
 出版年:天保2年(1831)  版元:鶴屋喜右衛門
 合巻 6冊 

 鶴千年対面曽我
 絵:二代歌川豊国
 作:二代恋川春町 
 出版年:天保3年(1832)  版元:和泉屋市兵衛
 合巻 2冊

 恋染木手管苧環
 絵:二代歌川豊国
 作:二代恋川春町
 出版年:天保3年(1832)  版元:和泉屋市兵衛
 合巻 2冊

 鏡山故郷の錦絵
 絵:二代歌川豊国
 作:墨川亭雪麿
 出版年:天保4年(1833)  版元:山本平吉
 合巻 6冊 

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