勝川春好は寛保3年(1743)に江戸で生まれたとされるが確証はない。勝川派の祖・勝川春章の最古参の門人で春章の後継者とも評された。 師匠と同じ壺型の落款を用いたので「小壺」とも呼ばれた。師匠と同様に写実的な役者絵を得意とし、兄弟弟子の春英とともに半身像の大首絵や大顔絵などの作品を手掛け、この作風は後の東洲斎写楽に影響を与えたとされる。しかし天明8年(1787)頃に中風を患い麻布の善福寺で隠遁生活を送ったといわれている。また左手で描き続けたとの説もある。このサイトに掲載した作品は少ないが師匠をも凌ぐといわれた才能を推し量ることができる。文化9年(1812)に没する。 |