浮世絵 勝川派の浮世絵師 
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勝川派の浮世絵師


 勝川春章 

 勝川春章(かつかわ しゅんしょう)。生年は享保11年(1726)、没年は寛政4年(1793)とされるが、生年については確証はない。また、出所、出自などは分かっていない。春章は宮川長春の一番弟子である宮川春水の門弟。宮川長春が刃傷沙汰を起こして罪人となったため師の春水は勝宮川を名乗り、この影響で春章も勝宮川を名乗るが後に勝川春章と改める。写実的な(似顔絵的な)役者絵を得意とし、明和7年(1770)に一筆斎文調と共筆した「絵本舞台扇」が評価されて当時の第一人者の地位を得る。勝川派の祖として多くの弟子を育て、勝川派は勝川春好が継承するが、同時期の弟子であった勝川春朗は後に葛飾北斎の名で活躍する。 

 勝川春好 

 勝川春好(かつかわ しゅんこう)は寛保3年(1743)に江戸で生まれたとされるが確証はない。勝川派の祖・勝川春章の最古参の門人で春章の後継者とも評された。 師匠と同じ壺型の落款を用いたので「小壺」とも呼ばれた。師匠と同様に写実的な役者絵を得意とし、兄弟弟子の春英とともに半身像の大首絵や大顔絵などの作品を手掛け、この作風は後の東洲斎写楽に影響を与えたとされる。しかし天明8年(1787)頃に中風を患い麻布の善福寺で隠遁生活を送ったといわれている。また左手で描き続けたとの説もある。このサイトに掲載した作品は少ないが師匠をも凌ぐといわれた才能を推し量ることができる。文化9年(1812)に没する。

 勝川春英 

 勝川春英(かつかわ しゅんえい)は宝暦12年(1762)に江戸で生まれる。春章の門下に入り、安永7年(1778)頃には作品を残している。春好とともに写実的な役者絵を多く描き、その画風は初代豊国にも大きな影響を与えたとされる。師の春章亡き後は門弟を多くかかえ、春扇(二代目春好)や春亭を育てた。また春英は浄瑠璃を趣味とし、三味線にも長じていたと言う。性格は豪放で数々の逸話を残しているようだ。文政2年(1819)に没する。

 勝川春常 

 勝川春童 

 勝川春扇 

 勝川春亭 

 

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