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鳥居清長
鳥居清長(とりいきよなが)は宝暦2年(1752)に江戸木材木町(現在の日本橋)で生まれた。鳥居家の血筋でなく、鳥居家三代目の鳥居清満の門に入り、明和4年(1767)に細版紅摺絵を発表したのがデビュー作とされる。このときは長兵衛と名乗ったが、19歳の時から清長と号した。当初は鳥居家伝統の役者絵を主に描いていたが次第に鳥居派風から離れて美人画をもっぱら描くようになる。清長の描く美人画は、最初の頃は鈴木春信、北尾重政、湖龍斎、文調などの影響を受けて八頭身で華奢な姿であったが、次第にどっしりとした健康的な体つきの美人画像を作り上げていった。また美人画の背景に写実的、現実的な江戸の風景を描き、背景と人物が快く調和した作品であることで高く評価された。背景を写実的なものとすることで二枚続き三枚続きなど複雑な構図を上手くこなし、以後の揃物浮世絵版画の興隆に多大な影響を与えた。 |