|
長谷川光信
大阪の浮世絵師。生年没年は分かっていない。本名は長谷川庄蔵。享保(1716〜)から宝暦(〜1764)にかけて活躍した。画号は「柳翠軒」と「松翠軒」があり、柳翠軒は享保年間の作品に使われ、松翠軒は延享5年(1748)以降の作品に使われている。この頃は上方における絵本の出版が最も盛んな時期で、光信も絵本、挿絵本を多く描いている。ただし元文1年(1736)頃から延享5年(1748)頃までの12年間は活動を中断していたようだが、その理由は分かっていない。専門家の中には前後で二人説もあるようだが、画風に変化が見られないことから同一人物であるとの説が有力のようだ。光信の画風から西川祐信の門下ともいわれるが確証はない。また光信は鳥羽絵の絵師としても有名。いくつかの傑作も残している。絵本などには大阪の商人の姿をよく描き、当時の風俗を知る上では貴重な資料でもある。 |