享保10年(1725)生れとされるが確証はなく、また生家も不明。本名は穂積で後に鈴木を名乗る。西村重長の門人とされるが画風は西川祐信に近い。鈴木春信の描く美人画は細見で可憐な表情をしているのが特徴。明和期に流行した絵暦を多数描き、これが多色刷りの「錦絵」へと発展するきっかけになった。特に江戸の町娘を描いた美人画は一時代を成し、後の浮世絵師に大きな影響を与えたとされる。生涯役者絵を描かなかったという説もあるが、これにも異説があり、初期の頃に描いた紅摺絵の役者絵の存在も指摘されている。明和7年(1770)に没する。 |