江戸時代になると印刷技術(木版印刷・版画)が進歩し出版活動が盛んになり、寛文(1661〜)の頃から子供向けの絵本なども出版されるようになる。子供向けに表紙は目立つように赤色にしたようだ。これを赤本(あかほん・あかぼん)といった。当初はお伽噺、民話などを題材とした絵が中心の読み物であったが次第に内容も広がり、武勇伝や合戦物、風俗や浄瑠璃などに題材を得たものが出版されるようになると赤い表紙の体裁では内容とそぐわなくなり、表紙を黒あるいは萌黄色(青)に変化させていく。これらの出版物は(これ以後に出版される黄表紙・合巻も含めて)一括りに「草双紙(くさぞうし)」と呼称されることも多い。一般的には子供向けの絵本を赤本といい、大人向けを黒本、青本とする。黒本、青本の違いは内容ではなく単に表紙の色の違いだという説もあるが、武勇伝などの堅い読み物を黒表紙にしたという説や、その年の新版を萌黄色(青)の表紙とし、旧版を黒表紙にしたという説などいろいろある。
赤本、黒本、青本ともに共通しているのは再生紙(漉返し)を用いていること。半裁二つ折(約14×20cm)の中本であること。5丁(10頁)を一冊とすること。また絵(挿絵)が中心で文章はその説明程度であること、といえる。
絵師には歌舞伎の看板絵を得意とする鳥居派の絵師や、富川房信(吟雪)などが活躍する。しかし明和年間(1764〜)になり浮世絵は飛躍的に発展するが黒本青本の絵にはさしたる変化もなく、安永4年(1775)以降の黄表紙の流行を待つことになる。
赤本は元禄期(1688〜)から享保期(1716〜)に最盛期を迎え、寛延年間(1748〜)まで刊行されたが、子供の日常用品としての性格から現存する作品は非常に少ない。また黒本、青本は延享年間(1744〜)に始まり安永4年(1775)に黄表紙が刊行されるまでの30年間に現存する作品だけでも1000種類以上を数える。おそらく実際にはそれ以上の作品が刊行されたと推定される。 |